病室に付き添っている時、一度だけ母に、「あんたの手を、私のあたまにのせて」と言われたことがあった。
もう本当に最後のころだった。
母は私が会社員を辞めて、どうしているのかなど知らない。
なにしろ変わった家族だから(笑)、そういうことを尋ねない。
セラピストとして開業したことも知らないし、ましてや、クラニオをやっていることなど知ろうはずが無い。
(クラニオが何かなんて、母に説明のしようもない。)
だから、驚いた。
少し熱があったときだったので、冷たい手をおでこに乗せて欲しいのだろうとは思った。
でも、驚いた。
自分に何が出来るのかと、少しだけ狼狽した。ほんの少しだけ。
病院のベッドでは、きちんとしたクラニオなど出来ようはずが無いし、それをやろうとは思わないけれど。
それでも、身体に、頭に触れていけば、私はセラピストモードに変わる。
母にセラピストとして触れること
その機会を与えられること
それは私にとって、奇跡としか呼びようのないことだった。
存在と存在として、いのちといのちとして、ともにいること。
その機会をふいに与えられて、とてつもなく幸せだった。
私は、この世界からとても愛されて守られているのだと、わかった。
こんなふうに、世界はとんでもなくうまく、とんでもなく素晴らしく、
すべてのものごとが動いていくのだ。
何も望まなくても
何も考えなくても
世界はちゃんとこたえてくれる。