すごい眼鏡 ver.2 | 自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

2008年の12月30日。
すごい眼鏡屋の新しい眼鏡をかけ始めた。

ちょうど1年後の2009年12月30日。
また、新しい眼鏡が届いた。


「見る」ということになんだかこだわり続けていた1年前。
コンタクトレンズをやめて、本当に楽になった。
肉体的にラクになっただけでなく、あまり見えないと、逆にまわりが気にならなくなって、生きるのがラクになった。
自分の思考回路・スピード、感じ方までもが変化することに驚いた。

でも夏ぐらいから、今度は、あまり見えない、ということにストレスを覚えるようになった。
もう少しよく見たい、と思うようになった。

多分、もう少しinputの量を増やしても大丈夫になってきたのかもしれない、と思った。
真夏の暑さに耐えられなかったこともあり、遊びに行くときや、初めての場所に遠出するときに使い捨てのコンタクトレンズを試してみた。
久しぶりに見える世界は新鮮で、便利だなぁと思った。
(見えないとやっぱり電車の乗換えとか、目的地を探すのに、時間がかかっていた。)

でもやっぱり、コンタクトレンズは目に負担をかけているのがわかる。
昔はこれを毎日毎日、朝から晩まで装着し続けていたのだから、そりゃカラダに悪いよなぁと思う。

コンタクトレンズにしたいのではなく、もう少し見えるようになりたいだけなのだから、度数をあげた眼鏡を作ればいいじゃないか。
1年経つから、そろそろいいかなぁという気がした。

で、相談してみた。
普段は今までどおりの近くだけはっきり見える眼鏡で生活する。
それにプラスして、遠くを見たいとき用、たとえば映画館で字幕が読めるくらいのものが欲しい、と。
すると、目の状態もよくなっているし、それもいいんじゃないでしょうかということで、今度は1.2くらいまで見える眼鏡を作った。
それが届いたのだ。


驚いた。

またまただけど、本当に驚いた。
同じ眼鏡屋で眼鏡を作った人が、「最初は見えすぎて気持ち悪かった。」「3次元的に見えるので、ぐわっときて驚いた。」と言っていたのが、こういうことかと初めてわかった。

コンタクトレンズで見えていたのと、まったく違う世界だった。
立体的。
奥行きがわかる。
というのか???

とにかく、空を見てまず驚いた。
雲が全部見える。
「全部見える」ってどういうことか?
言葉では説明しにくいのだが、重い垂れ込めた雲の下の方のもくもくとした質感。
高いところにあるすっとした雲の1本1本(って言うのか???)
それが全部見える。わかる。
すごい!
こんなものは今まで見たことが無かった。
生まれて初めて、見た。
近視にならなかった人は、ずっとこんな世界を見て生きているのかー?!
これが当たり前の世界なんだー。
知らなかった...。


樹をみて、また驚く。
大昔、大学のゼミの先生が「樹の枝、葉っぱは、黄金比で生えるんですね。」と言っていたことを唐突に思い出した。
一番美しい形で、そしてそれが太陽の光を浴びる一番効率のいい生え方だと。
何十年ぶりかで突然、それを思い出した。
まさに!その通り!
「数学的に美しい。」
ということは、こういうことだったのかー?!
大学生のときには、何がなんだかさっぱりわからなかった。
ちんぷんかんぷんなまま、なんだかわけのわからない弧を描いて、卒論にした記憶がある。
今でもあれがどんな数式だったのか、何を意味していたのかは、まったくさっぱり覚えてない思い出せない理解不能なことには変わりないのだけれど、自然がこんなに秩序だって美しい、ということだけはわかった。見えた。
「見える」ってことは、「わかる」ってことなんだ...。

樹に、雲に、風の動きに、天体の動きに。
見える人は、美しい数式が、音楽のように見えるのだろうなぁ。
そのほんのちょっとの端っこを、一瞬垣間見たような気がした。
世界が美しいのは、こんなに秩序だっているから。

初めて世界を見た驚き。
そんなものを、この歳になって経験するとは!

あ。

生まれた、のだった?!
ほんの数日前に、あらためて!!

!!!!!

今、自分で気がついて驚きました...