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自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。



半年ほど前に、この本を買った。
どこで見つけたのかは、もう覚えていないのだが。


眼鏡をはずせば、近視は治る。
眼鏡やコンタクトレンズなどの矯正をすることが、さらに近視をすすめる。

足を骨折して、一生、ギブスやサポーターの世話になるだろうか?
眼鏡をかけるというのは、一生を松葉杖で過ごすようなものではないか。


言われてみれば、なるほどそれはおかしいじゃないか!という気がした。
一度目が悪くなったら一生治らず、歳をとるにつれ悪化していく、どんどん目は悪くなっていくものだと思い込んでいるが、果たしてそうなのか?とまさに目からうろこ、で考えてみれば、近視も治るかもしれない、という気がしてきた。

私は裸眼で足の爪を切るのは怖い、というくらいの近視だ。
0.1なんて当然無い。
中学生の頃から眼鏡をかけ始め、高校生の終わりごろコンタクトレンズに変え、それ以来、ずっとコンタクトレンズのお世話になっている。
朝起きて顔を洗った直後にレンズを入れ、夜お風呂に入る前に出すという生活。
お風呂から出て寝るまでは、めがね。
朝起きて洗面所に行くまでのあいだもめがね。
目が覚めてから眠るまで、ずっと矯正された視力で過ごしてきた人生なのだ。


そんな私が、試しにコンタクトレンズをはずし、家の中で裸眼で行動してみると...


なんの不都合も無いじゃないかー!!!


勝手知ったる自分の家の中を動き回るのになんの支障も無い。
料理だって、まったく問題なかった。
包丁を使うのが怖いかと思ったが、顔を近づければなんともなく。
やってみれば、そのうち別に顔を近づけなくても普通に包丁を使うことも出来ることがわかった。
テレビ・パソコンを見るのに困るくらい。
そうじはほこりが見えてないので、不便といえば不便だが、適当に切り上げられる、という利点はあった(~_~;)

極度の近視の人は、まず、もっと矯正度の弱い眼鏡に変えてみようとあったので、とりあえず度数を落とした眼鏡も作りにいった。
以来、家の中にいるときは裸眼で過ごすようになった。
テレビ・パソコンを見るときには、弱い眼鏡をかける。
ちょうどだんだん暑くなる季節だったので、家に帰るとまず「化粧を落として顔を洗いたい!」という欲求が強くなる時期とあいまって、家に着いたら、コンタクトを出すのが習慣になった。
そうすると、確かに以前より眼が疲れなくなった。
レンズを出すとほっとするようになった。

でも、裸眼はもちろん、度の低い眼鏡で外出することには踏み切れずにいた。
近所のコンビニまで行ってみたことはあるが、やはり、見えないのは不安を覚えるのだ。

特に眼が良くなったということもないが、眼の疲れは減る気がするので、こんな生活に移行したまま、この本のことはその後忘れていた。


最近、アレクサンダーテクニークのグループレッスンに通い始めた。
先月くらいから、仕事の谷間で時間に余裕が出来てきたので、気軽に通えそうなグループレッスンに行ってみることにしたのだ。

で、そこにこれがあった。


えー、翻訳が出たのですかーーー?!

『近視は治る』を読んだときに、これって、アレクサンダーに通じるといおうか、アレクサンダーでこんなことが出来そう、誰かやっていそうと思い検索してみたところ、やっぱりいました。
アレクサンダーの教師で、そういう本を出している人が。
でも、英語。
読めない...(-_-;)
アレクサンダー・アソシエイツのHPに、一部を訳したものがあったけれど、これだけではよくわからない。
ああ、残念。
と思ったのだった。

それが、日本語で出てるじゃないですか!
しかも出たばっかり!
というわけで、早速、amazonで購入。


ここから「近視を治したい熱」といおうか、「裸眼で生きたい心」に火がついた。
「見る」をあらためて考えてみた。感じてみた。

のだが、長くなったので、今日はここまで。
この話は続くのだ。