もう寝ようと思って、パソコンを落とす前にちょっと引いてみるかと。
OSHO禅タロット 今日の1枚
マスター
今日は、昼間、クラ友さんが練習がてら遊びに来ており、というか遊びがてら練習をし、タロットでも遊んでおり。
禅タロットって普通のタロットより1枚カードが多いんだよね。
ナンバーの無い「マスター」のカードがあるんだよね。
これが出たら、驚いちゃうよね。
一生のうちに2回か3回くらいでいいよね、出るのは。
などとしゃべったばかり。
そしたら、もう出た。出たよ。出てしまったよ。
はぁー。
気を落ち着けて、カードの意味を読んでみた。
禅のマスターは他者に対するマスターではなく、自分自身のマスターです。―そして、自分をマスターしているというそのことが、彼のあらゆる仕草とひとことひとことに反映しています。彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、神と直接的なつながりを持っている超自然的な使者でもなく、まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいるもっとも高い可能性の生きた証となった人なのです。
弟子は、マスターの眼のなかに自分自身の真理が映し出されていることに気づきます。マスターの静寂に満ちた臨在のなかで、弟子はもっと楽に自分自身の実存の静寂へと落ちていくことができます。マスターのまわりに自然に形成される探求者たちのコミュニティーは、ユニークな個人それぞれが自分自身の内なる光を見いだすのを支えてくれるエネルギー・フィールドになります。いったんその光が見つかったら、外側のマスターは触媒、内なるものの目覚めを喚起する仕掛けにすぎなかったことを弟子は理解するようになります。
私は今、マスター、と呼ぶと当人は笑うだろうし、私もそう呼ぶのはなんだか違うとは思うけれど、私が目覚めていくこと、自由になることのサポートをお願いしている人がいる。
どういうご縁でこういうことになったのか、なんで「私なんかが」、と、つい「小市民的に」思ってしまうことがある。
そういうのはもうかっこ悪いな、もう手放していいな、とは思うようになったけれど、やっぱりたまにふと顔を出す。
さっきもちょっとだけ、そんな気持ちになっていたところだった。
そうか。
恐るべし、オショー!