以前このblogにもちらっと書いたリーディング&ヒーリングを勉強していた友人の千恵さんが、ついにプロデビューを果たした。
ということで、あらためてお客さんとして個人セッションをお願いした。
本当は去年のうちに受ける予定だったのが、私がノロにやられたり、いろいろあって、結局、2007年の幕開け早々のセッションとなった。
これもある意味「必然」「一番いいタイミング」っていうのかもしれない。
正直、私はスピリチュアルがにがてだ。
こんなふうになんだかんだしているのに、実際、我が身にいわゆる「スピリチュアルな体験」がおこると、「かんべんしてください。」「私は違います。」「困ります。」を連発するのだ。
自分でも本当に不思議だが、自分から近づいていっているのに、何故かほとんど生理的な嫌悪感と言ってもいいくらいの拒否反応を起こす。
素直に、ごく自然に、「素晴らしい体験ができて嬉しかった」と受け取ってさらっと流せばいいだけのことだと思うのに、過剰に、自分で自分に困惑するくらいの拒否反応が出てきてしまう。
恐らく、友だちでなかったら、わざわざお金を払ってまで「リーディング」なんてものを受けることはなかったと思う。
でも、彼女のまじめで一生懸命な人柄を知っているから、彼女のセッションなら受けたい、と思った。
彼女がまだ勉強中のときに、練習相手としてセッションを2度受けさせてもらった。
その内容は、なんでそんなことまで知ってるの、わかるの???という驚きでまずびっくり。
さらに、私のために、私が幸せになる、成長するお手伝いをしたい、という彼女の真摯な姿勢がぐんぐん伝わってきて、こんなひねくれた私でもものすごく素直に心の奥の奥の、自分でも見ないことにしていたことを見ることが出来た。
決して自分の能力を誇示するようなヒーラーさんではなく、あくまで主役はクライアントさん自身で、その成長のための「お手伝いが出来たら嬉しい」という彼女のスタンスが伝わってくるものだった。
2007年の幕開けに受けることになったセッション。
去年1年間、いやそのずっと前からいろいろなセッションを受ける中で自分が感じていた共通のテーマ。
それが、この日、現れた。
今まで、本当に私は「スピリチュアルはにがて~」だった。
くどいようだが、自分で近づくくせに、いろいろなことが起きるたびに、「かんべんしてください(;_;)/~~~」の連発だった。
ならば、行かなければいいのに、つい、行ってしまう。
行けば行ったで、根は素直な性格をしているのか(^_^;)そこでまたいろいろな体験をしてしまい、ぐったり疲れてしまう。
特に2006年はその繰り返しだった。
いいかげんそれにけりをつけたかった。
なぜ、深く考えずに「素晴らしい体験をした」と片付けられないのか。
そのテーマに焦点をあててセッションは始まった。
実は(?)今までにいろいろなセッションの中や、自分自身の夢や瞑想の中で、過去世を見てきた。
今まで、あまりそういうことは話さなかった。
自分自身が受け入れられないのだから、他人に話すことはむずかしかった。
話すとしても、冗談まじりでしか話せなかった。
私は無宗教だ。
どちらかというと「宗教」というと嫌悪感が走る。
むやみやたらと反感を述べたくなる。
とにかく、批判したくなる。
私が見た過去世で、私は何かの宗教を、神さまを信仰していることが多かった。
そして、いつも裏切られつらい思いをしていた。
いろいろな宗教だけれど、いつも「なぜ、神さまは助けてくれないのか?」という悔しい思いを抱いて生きていた。
つらい思いをして最期の最期に、信仰を取り戻して穏やかに死んでいったときもあったけれど、経験した過去世はほとんどが神さまを恨んでいた。
おのれの、人間の無力さを嘆いて、疲れ果てて死んでいた。
その想いが自分の中からあふれ出た。
誰がしゃべっているのか、強い想いが次々と自分の口から出てきた。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
なぜ、こんなにまで人間につらい思いをさせるのか。
なぜに、ここまで苦しめる?
苦しめるのならば、なぜに人間を創った?
なぜ、おのれが創ったものなら慈しまぬのか。
なぜ、おまえはいつも高いところから見ているだけなのか?
なぜに手を貸さぬ?
なぜに自分の手は汚さぬのか?
万能の神ならば、なぜ助けない?
こんなにまでつらく苦しい思いをさせるのなら、
ならば、なぜ人間を創った?
この想いを吐き出し、これをキャンセルしたのち、肯定的なアファーメーションを行う、というワークを行った。
でも、私はそれをすんなり受け入れることができなかった。
私は神とつながっています
私は神を愛しています
私は神に愛されています
「言霊だから、心が伴わなくても、言えたら言ってみて。」と促されても、むずかしかった。
「あなたのハイヤーセルフが、言うだけでも言って欲しいと告げている。」と言われても、私はなかなかできなかった。
まったく心がこもっていない言葉を形だけで発することが出来なかった。
日常生活では物分りよく、体裁だけ整えることもやればできる私なのに、このときは全身が拒否した。
その瞬間の私のこころは、「こんな神なら叩き切ってやる!」というくらいの勢いだった。
「そんな神ならいらない。私は人間を愛する!人間のために神と戦う!!!」
「お釈迦様の手のひらのうえ」という言葉があるが、それでもその中であがき続けたい。
だからこそ、人間はいとおしいと思うのだ。
そんな狂おしい想いがかけめぐったあと、しばしの静けさが訪れた。
それでもなお
それでもなお、その後に信仰は残るのか...?
恐る恐る言葉が口から出た。
私は神を愛しています
私は神に愛されています...
やっと1割程度の気持ちしかこもっていないけれど、言葉を発することが出来た。
そのあとは、もうぐたーっと身も心も抜け殻のようになり、セッションは終わった。
そのあと、時間を延長してもらって「テレグラム・セラピー」というのをやっていただいた。
「自分では気が付いていないかもしれないけれど、頑張って浄化したので、オーラが萎縮してもやもやっと小さくなっているので、ボディワークをやってエネルギーを入れた方がいい」そうだ。
自分ではずっと目が覚めていたつもりだったけれど、「いびきかいて寝ていたよー。」とのこと(^_^;)
眠った記憶すらないくらい、ふっと眠っていたらしい。
確かに終わったあとは、すっきり快調!になっていた。
いつもならこのようなセッションを受けると、肉体的にも精神的にもぐったりきてしまって、家にたどりついたら水だけ飲んで寝る!ということが多いのだけれど、この日はおかげでそんなこともなく元気!だった。
「こころやたましいをヒーリングしたら、からだも合わせて整えたほうがいいんだよね。全部合わせて人間は出来ているからね。」
と言っていたが、確かにものすごくラクになりました。
私がいびきをかいて寝ている間にも、だいぶもやもやとネガティブなもの(?)が出ていっていたそうです。
思い起こしてみれば、こんなにハードなことをやったのに、確かに!確かに!非常にからだはラクです。
今までだったら、絶対次の日寝込んでいたと思う、私は(~_~;)
2007年はこんな幕開けでした。
過去世がどうのこうのとか、神さまがどうのこうのなんてことを、真っ正直に話すのは私にとってある意味「カミングアウト」
でもこれからは、もうさらっと気負わず受け入れられるようになりたい。
そんな想いをこめて、この記事を思い切ってアップします。
神は愛であり、神は私であり、私は愛である。
知っているけれど、忘れてしまう。
知っているけれど、信じられなくなる。
私はもう一度、神とつながることができるのか。
いや、常にどんなときでも、
私は神とつながっているのだ
愛されている、愛しているのだ。
それを肯定することが出来るのか。
認めることが出来るのか。
受け入れることが出来るのか。
そういうことのような気がする。
あせらず、少しずつ、少しずつ。
最後になりましたが、素晴らしいセッションをしてくれたパドゥマナの千恵さんのHPはこちらです。
http://www.padmana.biz/