明るいあきらめ | 自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

緒方さんは、からだの右側から仙骨に触れていった。
しかし、右の腰には痛みの残骸が残っていて、どうしても落ち着かないので、左側に移動していただいた。
手の位置は決まったが、落ち着こうとしたとたんに仙骨から身体中にわらわらっと何かがかけめぐっていくような感じがした。
頭の中には、漫画のように土煙を上げて走りまわっている人の図が浮かぶ。
とにかくせわしない。落ち着かない。走り回っている。
からだがあせりまくっている。
「そのあせりはなんでしょうか?」と緒方さんに尋ねられ、私の口から出てきた言葉は
「早く結果をださなくちゃ、ってあせってます。」
あー、そうかー、と自分の言葉を聞いた瞬間、驚くと同時に納得した。

直前に深いstillness(?)を経験し、おー、とゆったり感動しているのに、その反面、理性では、「で、その結果、私はどんなふうに変化をしたの?どんなに素晴らしく変わったの?目に見える成果は何?どれ?どれなの!!!」とヒステリックにあせりまくっている自分が見えた。
今まで、のらりくらりと仕事をしているように振舞っていたけれど、実は常に結果を出すように要求され、それに応え続けて頑張ってきた自分にも気が付いた。
だから、常に目に見える結果が無いと落ち着かない。
それも、すぐに結果として現れなければ、「ダメ!」と思ってしまう。
実は相当、頑張ってきたんだ、ということを知った。

あせりまくっている仙骨は今日はやめておきましょう、ということになり、かかとへとポジションは移った。

「どんな感じがしますか?」
「反省会を始めています。」

自分で言っていて笑ってしまうのだが、からだはもう今日のセッションは終わり、と感じて、統合に入っているようだった。
さっき仙骨から広がっていった「あせり」を消そうと、何かがいっしょうけんめい「お仕事している」ようだった。
そして、今のセッションについて、「これがよかったな。」「ここはこうすればよかったよな。」とか大勢で話し合って反省会を開いているようだった。
そして、結局、「ま、俺たち(ってなぜに男性?)しょせんこんなもんだよ。」というところに落ち着いていった。
それは、自分を卑下して落ち込む感じではなく、「今日のところはここまで!」というような非常に「明るいあきらめ」だった。
部活帰りの男子中学生たちが、「今日は先輩に怒られたけどさ、ちきしょー、あしたは俺は頑張るぜ!あしたの俺を見てくれよな!」「とりあえず、アイス食って帰ろうぜ!」とか言っている光景がイメージとして浮かぶ。
我ながら、なんと素晴らしい想像力なんだ!と、笑いそうになった。

セッション終了後、この「明るいあきらめ」について緒方さんに話すと、「それが大事なことですよ。今の自分自身を受け入れて認めるということじゃないですか。」と言われた。
そうか、「しょせんここまで」だけど、いやな感じはまったくしなかった。
「明日はもっとすごくなってるかもよ!」という言葉がその次に続くから。


漠然とした思いでなぜか突き進んできてしまった「クラニオセイクラル」
なぜにこっちに引っ張られてきたのか、なんとなく見えてきたような気がした。
と同時に、あんまり意味なんて探さなくてもいいかも、とも思った。
私が和解した「右脚」っていったいなんだったのか、まったくわからない。
でも、何かが開放されたことは確かだ。
それで自分が心地良い方に動いたならば、それで良い。
ただそれだけの単純さでいいのかもしれない。