自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

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「一寸の虫にも、五分の魂」という。


パチンとつぶしてしまった蚊にも、
魂はある?

魂はあるが、
マインドは無い。


パチンとつぶされた蚊は
自分が消えたことを知っているのだろうか。

消える恐怖を、
感じていただろうか。


「自分」を知るマインドが無かったら、
この質問は成立しない。


では、
何が消えたのだろうか。


何も消えない。


生まれていないし、
死んでもいない

とは、

こういうことなのか???



いのちは消えない。

ただあるだけ。



この「私」が消えると、
マインドがわめきたてているだけ

なのか…


いつか「私」も
パチンとつぶされるのかもしれない。


パチンと、
消えるのかもしれない…



ひさしぶりに、ここに書きたくなった。


「わかってもらえない」

そんな想いがずっとあったことを、
久しぶりに思い出した。

わかってもらえないと思わなくなったのか、
わかってもらうことをあきらめたのか。

どちらなのかもわからないほど、
もうすっかり忘れていた。


久しぶりに思い出した、その感覚。

なつかしい感覚(笑)


ああ、やっぱり自分は、

「わかってもらえない」

そう思っているようだ。
今も変わらず。




わかってもらう必要があるのか?



ああ!

「わかってもらう」必要は無い。


「わかってもらう」が成立するためには、

わかってもらう私がいて、
わかってくれる私以外の誰かが必要だ。


だから、

「わかってもらう」は成立しない。

「わかってもらう」必要は無い。


わかってもらうって、いったいなんだったんだろう。




人は絶対にわかりあえない。

それが心底、腑に落ちれば、
世界は優しくなる。


わかりあえないと思うから、
わかりあいたいと思う。

その気持ちが、愛おしい。



人は絶対にわかりあえない。


そう思っている。


100%完璧に、
同じことを思う・感じることは不可能だから。



さっき、突然、気がついた。


「わかりあえた」という人のいう「わかりあえた」は、

私が思う「わかりあう」とは、まったく別なものだ。


私が思うような「わかりあえた」は、存在するはずが無い。
それは、まったく同じ人間が存在するということだから。


多くの人が言う「わかりあえた」は、
まったく別のもの。

気持ちが通い合った。

そんな意味なんだろう。

わかった部分があった。

その程度のものなんだろう。



100%完璧に、
寸分の狂いも無く、
ぴったりと一致する。


そんなものを求めていた。


それが、私の求める「わかりあえる」だった。


100%完璧。


それを知ってしまったから、
それを体験してしまったから、

ここにいる私は、
もう二度と、その100%になることは出来ないのだと、

それを理解すること、
もういちど味わうことは出来ないのだと。


それが寂しくて

それが哀しくて

それがこわかった。



のかな(笑)



もうそれもよく、思い出せない。


あの分離の哀しさも

今はもう、いつの間にか消えている。


それもまた、

自分の作り出したストーリーだからだ。



"それ" を体験した私

というストーリーから、

どうやらもう、はなれたらしい(笑)


ああいつのまにこんなに、
軽やかになっていたんだろう!


"それ" は経験するものではない。

"それ" であるだけ。



ああ、これがなるほど(笑)


わたしはいない


なのだ。



ただなにもなく

つまりすべてがある。

ただ それ



それだけ


わたしはいない

なにもない






あのときわたしは、

ああ、言葉は不自由だ。

わたし、という言葉しかないのだから。

(だから仕方なく、「わたし」とする。)



あのときわたしは、

山であった
森であった
木であった

水であった

風であった

石であった


のではなく


本当は

山も無く
森も無く
木も無く

水も無く

風も無く

石も無く


私も無かった


ただ

なにもなく


ただ

それが

あった


ただ

あらわれが

起きていただけだった。






そして

私は私に戻り、

山は山となり

石は石に

水は水に

風は風に、なる。



そして、

いまここを生きる。



いまここに生きている。



いのちが、

わたしを生きている。


いのちが、

ただ生きている。



世界は美しい。




途中で気がつきましたね。

自分のカラダが固くなるのに。




ああ。

だから消した。

余計なものは消したよ。

さすがだね。



さすがなのは、あなたの方ですよね(*^_^*)



介入しただろ。



私もあなたも区別は無い。

そうでしたよね(*^_^*)



ずっと言っていましたよね?

「天使が羽根しょって、白い服着てやってくるかよ!」って(笑)




ああ


同じことです。

そうあって欲しい、という願いを、人間は持つもの。



あの、さっきから気になってたんだけど、

キャラが違うんですケド?


はい。

あなたが望むとおりの「キャラ」になります。

あなたが求める通りの「キャラ」があらわれます。

わかりますか?

あなたがのぞむものすべて、現実となります。




降参。

その通りだ。

知ってたはずなのに、忘れかけてた。


同じだね。

この世もあの世もない。

みんなおなじだ。


望むとおりの現実(という名の幻)が、あらわれる。




注意深くいてください。

注意深くということは、身体を固くすることではありませんよ。

常に、ゆるやかに。

すべてにひらいていてください。




開き過ぎるとキケンというのも、悪魔のメッセージだったんだ。


そのとおり(^^ゞ

ひらきすぎるとキケン、ひらくと辛いというのは、
本当の意味での「ひらく」ではないのです。

はい。

ことばではすべて、「ひらく」です。

でも、今までとは違う「ひらく」が、今もうわかりましたね(*^_^*)

その「ひらく」は、なんの危険などありません。

危険などという概念の外です。




こうさん。

しかしながら、あんた誰?だよ。



知ってますよね(*^_^*)

あなたはわたし。わたしはあなた、です。




\(--〆)/


自分のためのメモ。


嬉しい・悲しいの表現も、

刷り込まれたパターンがあり

それに合致しないものは、ダメだと烙印を押されている。


自分は感動の薄い人間だと思っている。

感情が無い人間なんじゃないかと。


みなと同じように涙を流せない。

みなと同じように笑うことが出来ない。


感動の欠落した、欠けた人間だと思っていた。

思っている。


こういうときには、こういう反応をするのが正しいのだろうな。


どこかで、そんなふうに自分をながめている自分がいる。

その反応が出てこない自分を、

「なんて冷たい人間なんだろう」


自分を欠陥商品のようにながめている。


それはそれでもうしかたない。


最近では、そう開き直っていた。



長い間、それじゃダメだと、言われ続けた。

自分の感情にフタをしているから、
イヤな感情を押さえているから、いい感情も感じられないのだと。

自分を何かから守っていると。

ハートが閉じていると。


だからあなたはダメなのよ。


常に、このメッセージが背後にあった。



でも、

じゃあ、どうしたらいいのか

は、誰も教えてくれなかった。


指摘して指摘しっぱなし。






で、私は開き直った。



指摘するだけで終わりなら、もう言わないでくれ!

なんの提案も無い指摘なんて、あなたのエゴを満たすだけだ!



私は、過去のこういう出来事に、いまだにうらみを持っているのかもしれない(笑)




話がそれる(笑)




さっき、わかったんだ。


これも催眠術。

思い込み、刷り込み。



こう反応するのが愛にあふれた人。

素晴らしい人間。



形が出来あがっていて、それ以外のものはダメだと。

そう反応しないあなたはダメなんだと。


涙があふれないと、感謝していないのだろうか。

こころから感動したら、自然と涙があふれてくる。
 ↓
泣かないあなたは、まだちゃんと感じていない。
きちんと感謝が出来ていない。
心が閉じている。
傲慢だ。



無言のメッセージ。

無意識への刷り込み。



私は、感情の無い人間なんだろうか。

感動できない人間なんだろうか。




そんなことはない。

断じてない。



型にハマった反応をしていないだけ。


泣く

笑う


それさえも、こうあるべき、がある。




私は泣く。笑う。感動する。心を揺さぶられる。


こころがふるえる。



そんな瞬間を、知っている。


細胞が歓ぶ瞬間を、知っている。



一瞬が、永遠になる瞬間を。


熱く熱くとろけるような瞬間を、

知っている…





もっともっと自由になろう。