ひさしぶりに、ここに書きたくなった。
「わかってもらえない」
そんな想いがずっとあったことを、
久しぶりに思い出した。
わかってもらえないと思わなくなったのか、
わかってもらうことをあきらめたのか。
どちらなのかもわからないほど、
もうすっかり忘れていた。
久しぶりに思い出した、その感覚。
なつかしい感覚(笑)
ああ、やっぱり自分は、
「わかってもらえない」
そう思っているようだ。
今も変わらず。
わかってもらう必要があるのか?
ああ!
「わかってもらう」必要は無い。
「わかってもらう」が成立するためには、
わかってもらう私がいて、
わかってくれる私以外の誰かが必要だ。
だから、
「わかってもらう」は成立しない。
「わかってもらう」必要は無い。
わかってもらうって、いったいなんだったんだろう。
人は絶対にわかりあえない。
それが心底、腑に落ちれば、
世界は優しくなる。
わかりあえないと思うから、
わかりあいたいと思う。
その気持ちが、愛おしい。
人は絶対にわかりあえない。
そう思っている。
100%完璧に、
同じことを思う・感じることは不可能だから。
さっき、突然、気がついた。
「わかりあえた」という人のいう「わかりあえた」は、
私が思う「わかりあう」とは、まったく別なものだ。
私が思うような「わかりあえた」は、存在するはずが無い。
それは、まったく同じ人間が存在するということだから。
多くの人が言う「わかりあえた」は、
まったく別のもの。
気持ちが通い合った。
そんな意味なんだろう。
わかった部分があった。
その程度のものなんだろう。
100%完璧に、
寸分の狂いも無く、
ぴったりと一致する。
そんなものを求めていた。
それが、私の求める「わかりあえる」だった。
100%完璧。
それを知ってしまったから、
それを体験してしまったから、
ここにいる私は、
もう二度と、その100%になることは出来ないのだと、
それを理解すること、
もういちど味わうことは出来ないのだと。
それが寂しくて
それが哀しくて
それがこわかった。
のかな(笑)
もうそれもよく、思い出せない。
あの分離の哀しさも
今はもう、いつの間にか消えている。
それもまた、
自分の作り出したストーリーだからだ。
"それ" を体験した私
というストーリーから、
どうやらもう、はなれたらしい(笑)
ああいつのまにこんなに、
軽やかになっていたんだろう!
"それ" は経験するものではない。
"それ" であるだけ。
ああ、これがなるほど(笑)
わたしはいない
なのだ。
ただなにもなく
つまりすべてがある。
ただ それ
それだけ
わたしはいない
なにもない
あのときわたしは、
ああ、言葉は不自由だ。
わたし、という言葉しかないのだから。
(だから仕方なく、「わたし」とする。)
あのときわたしは、
山であった
森であった
木であった
水であった
風であった
石であった
のではなく
本当は
山も無く
森も無く
木も無く
水も無く
風も無く
石も無く
私も無かった
ただ
なにもなく
ただ
それが
あった
ただ
あらわれが
起きていただけだった。
そして
私は私に戻り、
山は山となり
石は石に
水は水に
風は風に、なる。
そして、
いまここを生きる。
いまここに生きている。
いのちが、
わたしを生きている。
いのちが、
ただ生きている。
世界は美しい。