大興寺には、鎮守堂の御正躰として四面の懸仏が所蔵され、いずれも知多市の文化財に指定されている。平成29年1月20日の県文化財保護審議会の答申に基づき、2月10日に県有形文化財(工芸品)指定が告示された。
大興寺の懸仏は、往昔平安時代本地垂迹の思想(仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。)に基づいて寺院の境内(外)にまつられた鎮守神である。庶民は、これを守護神或いは、氏神として尊崇し礼拝したのである。

懸仏は、往古より大興寺の氏神として村民に尊信されてきたもので、永仁4年(1297)の作である。同型のものが他に三体あり、これらを八幡三社という。別に熱田五社をかたどる五仏を配した一面(藤原末期のもの)がある。これ等四面が、大興寺氏神の御神体である。大興寺の氏神の社名が、八大神社と称されるのは、この故である。
金剛界大日懸仏
永仁4年銘の懸仏で、青銅製、30.8~31cmの大きさである。
智拳印の金剛界大日如来を装着したもので、鏡板表面は鍍銀し真に薄手の桧板を添える懸仏である。像は厚肉鋳製で後頭部に柄を作り出し、鏡板に嵌め、下方では針金どめとする。左右の花瓶(けびよう)も鋳製像の上には天蓋を備えた痕跡がある。鏡板の外区には、吹寄せ式に二個宛の飾り鋲をつける。両肩には鋳製の獅噛(しかみ)形の釣環座を装し、環台は宝珠形に作る。像はもと舟形の透彫光背を備えたらしい形跡もある。鋳製柄止め式の仏像の作り方や、鏡板の装飾法など全く鎌倉後期懸仏の典型的なもので、基準作というに相応しい品である。獅噛座で宝珠形の環台をつけるのは、南北朝期懸仏の特色を持っている。もっともこれが打出し製でなく鋳製であることはやはり古式である。
背面の桧板に次の墨書がある。
尾州知多郡大野庄大福寺之御正躰也 永仁4年11月26日
勧進僧 賢智 敬白
胎蔵界大日懸仏
永仁4年銘の懸仏で、青銅製、直経30.6~31cmの大きさである。
定印の胎蔵界大日如来を装着したもので、鏡板表面は鍍銀し真に薄手の桧板を添える懸仏である。像は厚肉鋳製であり、この仏像のみは後頭部と蓮台裏の二か所に柄を鋳出して鏡板に装置している。また像や獅噛に朱、紺青、墨などで加彩されたのがかなり残っている。
背面の墨銘は次のように書かれている。
尾張国知多郡大野庄大福寺之御正躰也
勧進僧 賢智 永仁4年11月26日 敬白
聖観音懸仏
これも永仁4年銘の懸仏で、青銅製、直経30~30.9cmの大きさである。
智拳印の聖観音を装着したもので、鏡板表面は鍍銀し真に薄手の桧板を添える懸仏である。像は厚肉鋳製で後頭部に柄を作り出し、鏡板に嵌め、下方では針金どめとする。
像は右手を挙げて風空を閉じ、左手は腹前で拳を作り一孔を穿ったもので、像の装着法は金剛界大日と同じく、頭背の柄と下方の針金どめによる。
裏板に次の墨書がある。
尾張国知多郡大野庄大福寺御正鉢也 永仁4年11月26日
勧進僧 賢智 敬白
熱田五社明神本地懸仏
青銅製、表明は鍍銀し、直径30cmの大きさであり、鏡板面に金剛界大日如来を中央にした五尊の如来像を装着した懸仏である。
打製の鋼板の周縁に覆輪をめぐらし、両肩には猪目を透かした花葉形の釣環金具をつける。像はいずれもやや扁平な感じの半肉像で、輪形の頭光と身光を備え、鏡板には鋲止めで取り付けられている。裏板をつけず細かい覆輪をめぐらしただけの簡素な鏡板や花葉形の小振りな環座、輸光背など細部の手法は藤原式の技法である。
鎌倉時代前期の作品と考えられる。
