1 天王信仰
津島祭り1   津島祭り2
毎年、初夏から夏にかけて尾張各地で華麗な天王祭が見られる。7月下旬の津島天王祭りは、およそ五百年の伝統を持つといわれている。数多くの提灯に彩られた巻藁船がでる宵祭り、能人形を乗せた車楽船へと変わる朝祭りは、今も昔も多くの人を魅了する。
 もともと、牛頭天王を祭れば疫病を鎮めるとされ、夏に疫病のはやる都市を中心に広がった天王信仰であるが、東日本の天王信仰の中心地である津島神社のある尾張では、農村や漁村にも広く浸透している。そこでは、多くの観客を集める祭りとは違い、数十戸の人々が、天王迎え―天王祭り―天王送りの行事をさまざまなかたちで伝承している。農村では、洪水を恐れつつ雨を願うところから水神信仰の側面の強いところ、稲の害虫除け祈願や疫神の人形送りをする御霊信仰の側面の強いところ、麦の収穫儀礼の性格をあらわすところなど、地域によってさまざまである。また、漁村では来訪神・豊漁祈願の性格をあわせ持っている。


※牛頭天王は古代インドのコーサラ国の首都、舎衛城の南の祇園精舎の守護神とされる。祇園精舎は釈尊や弟子達のために造られた寺院。蘇民将来物語の主人公である牛頭天王は薬師如来の化身(垂迹)ともいわれる。一方、牛の角をもち夜叉のように恐ろしい姿であらわされ、疫病をつかさどる猛威ある御霊的神格でもあったことからスサノウとも習合して、京都祇園の八坂神社などに祀られて疫病除けの神として信仰されている。

2 天王さまの社殿
 天王信仰の行事内容は地域によって様々であるが、氏神が津島杜(天王社)である地域を除いて、基本的に天王迎え-天王祭り-天王送りという構造をもつ。行厄神の牛頭天王は、常時ムラにいてもらっては困る存在で、ある時期に迎え、祭り、送る神なのである。その祭る期間も地域によって大きな違いがある。1,2週間祭る地域と、75日間など長期間祭る地域に大別できるが、現在では1日しか祭らないところもある。
 迎え、祭り、送る神だからこそ、その社殿は、毎年作り、お祭りした後に川に流すか燃やすことが、本来の姿であったと考えられる。


3 知多半島のおたちくさん(天王信仰)
 知多市では、日長2区(旧森村)や新舞子(旧松原村)の他、常滑市大野町などに伝わる。大野町は、中世から湊町として栄え、同じ湊町としての津島との関係が深いことが指摘されている。それに起因するのか、津島信仰の盛んな町である。農村部では、天王迎えにはオタチクサンともオカリヤとも呼ぶ竹と小麦の麦藁で天王さんの仮社殿を作り、祭っていた地区もあったが、昭和三十年代以降は板宮に変わっている。
 また、半島の西海岸部と日間賀島には、津島神社のお札を葭にくくりつけてオミヨシサンと呼び、津島神社の御葭が流れ着いたとして祭る行事がある。

唐子1   唐子2
大野町高須賀町

権現2   権現1
大野町権現町

梅榮1   梅榮2
大野町十王町

小倉1   小倉2
常滑市小倉町

4 常滑市大野町橋詰のおたちくさん
橋詰2   橋詰1
旧6月2日から7日間行われる。今も陰暦を守ってお祭りをしている数少ないところである。前もって、町代が津島神社から代参でお札を受けてくる。氏神である風宮神社の境内に柱を立て板宮をつくる。初日(天王迎え)には「オタチクサン」と呼ぶ板宮には、赤提灯を二つ灯す。笹竹12本(閏年は13本)を立てて、板宮からエツロナワ(細い稲藁)を2本張り巡らし、神域とした。その人り口には、津島神社と書かれた箱提灯を掲げ、上に太い竹を2本渡して門にした。7日間、子供たちを中心に各戸から参拝する。最終日(天王送り)には、提灯は、祭壇の縄に吊るしておき、持ち帰らない。後で境内にて燃やし皆様の想いを天に送る。また、子供を中心としたお囃子が町内を廻る。


5 常滑市西之口おたちくさん
西之口2   西之口1
「おみよしさん」と「おたちくさん」
 昭和31年(1956)までの祭りは、旧6月8日から15日までで、初日をお神迎え、最終日がお神送りであった。
 明治41年までは最終日に、雷神車、西寶車が出ていた。昭和31年までは、山車の曳行はなくなるものの、笹竹に白提灯をつをけ勇み囃子と共に行列を行い神前に奉納した。神前で囃子が最高潮に達すると、灯りが一叫斉に消され、提灯の奪い合いをした。
天王さんは、荒ぶる神さんだからと喧嘩もかなりあったという。オミヨシサンは、津島神社の御葭が流れ着いたとして若者が作る。夜に、葭の葉片側を取って揃え一束ねにして浜辺に持っていく。そこで海水で清め、葉先をもんで先端を細かく裂く。御葭が流れ着く間にいたむという想定である。この束の上に葉に箱に入ったお札(お立符)を麻縄で縛り付ける。これを、氏神神明社境内に建てたオタチクサンに納め祭る。平成4年に最終日の行事だけを復活させ7月第3土曜日に行うようになった。