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愛知県常滑市 ブログランキングへ
内宮御祭宮社は、大野町下砂子町の氏神である。
![内宮1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/ec/4b/j/t02200147_0800053313315735093.jpg?caw=800)
![内宮2](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/2f/73/j/t02200158_0800057413315735092.jpg?caw=800)
内宮御祭宮社は、垂仁天皇の御代に、倭姫命が天照皇太神を奉じて、三ヶ月間この地に滞り、その後、伊勢の地に遷られた。昔は内宮天照皇太神宮と称し、三万七千坪の広大な境内に末社五社を数えた。
文禄、慶長の頃には、度重なる台風高潮の被害を受け、社殿もその都度東の方へ移されたため、境内は四千百五十二坪に減ってしまった。天保五年(1834)には、勅令により現在の社名に改められた。この宮は元伊勢と称して崇敬を受けたことがある。明応六年(1497)大野城主佐治伊賀守が社殿の再建を行ったと伝えられる。
美濃国土岐氏伊勢参宮の途、この浦に霊夢があり、帰国後大勝利を得て、神輿神鏡等を奉納せられたという。この神輿は土岐長門守、遠山出羽守などが寄進したもので、現存するのは文久三年(1863)に改造されたものといわれ、鳳凰、鳥、鈴等は古い神輿の形を残したいへん優美な姿を守っている。
![神輿1](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/a1/3f/j/t02200153_0800055613315735095.jpg?caw=800)
![神輿2](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/ac/91/j/t02200150_0800054413315735094.jpg?caw=800)
この神輿は、かつて下砂子町の祭礼で担がれていた。
![昭和神輿](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/5f/21/j/t02200149_0800054013315736098.jpg?caw=800)
![現在神輿](https://stat.ameba.jp/user_images/20150523/20/ohnodani/93/f4/j/t02200293_0800106713315736097.jpg?caw=800)
神輿は、内宮御祭宮社に眠っている。左側の写真は、昭和34年皇太子(今上天皇)のご成婚式を記念して大野橋まで担がれた時のものである。戦後担がれたのはこの一度だけである。