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愛知県常滑市 ブログランキングへ

  内宮御祭宮社は、大野町下砂子町の氏神である。
内宮1   内宮2
 内宮御祭宮社は、垂仁天皇の御代に、倭姫命が天照皇太神を奉じて、三ヶ月間この地に滞り、その後、伊勢の地に遷られた。昔は内宮天照皇太神宮と称し、三万七千坪の広大な境内に末社五社を数えた。
 文禄、慶長の頃には、度重なる台風高潮の被害を受け、社殿もその都度東の方へ移されたため、境内は四千百五十二坪に減ってしまった。天保五年(1834)には、勅令により現在の社名に改められた。この宮は元伊勢と称して崇敬を受けたことがある。明応六年(1497)大野城主佐治伊賀守が社殿の再建を行ったと伝えられる。


  美濃国土岐氏伊勢参宮の途、この浦に霊夢があり、帰国後大勝利を得て、神輿神鏡等を奉納せられたという。この神輿は土岐長門守、遠山出羽守などが寄進したもので、現存するのは文久三年(1863)に改造されたものといわれ、鳳凰、鳥、鈴等は古い神輿の形を残したいへん優美な姿を守っている。
神輿1   神輿2
 この神輿は、かつて下砂子町の祭礼で担がれていた。

昭和神輿   現在神輿
 神輿は、内宮御祭宮社に眠っている。左側の写真は、昭和34年皇太子(今上天皇)のご成婚式を記念して大野橋まで担がれた時のものである。戦後担がれたのはこの一度だけである。