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日長神社
鎮 座 地知多市日長字森下4番地

01日長神社
御祭神は、日本武尊、日長命、倉稲魂命。
 元禄元年中(1690年頃)に書かれた「日永大明神略縁起」によれば、戦国時代に匹田氏、駒沢氏と云う武将が砦を築いていたが、兵火に会い、神宝・古記録等が消滅したとあり、創建は明らかでない。智多郡風土記によれば、寛徳元年(1044)といわれている。上古蕃賀郷の総社として崇敬され江戸時代には江文大明神、日永天神社とも称せられ日長7村の崇敬を受けた。本国帳には従三位日長天神とある。明治5年9月、郷社に列格せらる。
古代、尾張地方を開拓した尾張氏は、海上交通の要地であるこの地へ一族を派遣され、その一族がお祀していたのが、日長命、日本武尊の2柱ではないかと思われる。日長命は、熱田神宮に祭られている宮簀媛命の兄にあたられる方と云われているからである。
社伝によれば、景行天皇の皇子日本武尊が御東征の折この地に来られ、里人にこの処の名及び日の暮れる方向を尋ねられたので、里人が畏こみて、「日は未だ高し」とお答えすると、尊は喜ばれ、それでは此のところを「日高」と呼ぶがよいと仰せられ、後に「日永」という地名になったと云われている。   
 最古の棟札には、
 南腰部□大日本国東海道尾口智多郡大野圧日永□□神社□□所 天正九己辛拾弐年吉日
 と書かれている。
 天正9年より後には、寛永12年、寛文7年、宝永5年、享保15年、宝暦12年、明和4年、寛政6年、嘉永2年、明治15年、明治43年、昭和10年、昭和41年に、御本殿の御修覆が行われた棟札が残されている。
 末社は、神明社、八幡社、薬祖社、風宮社、恵比寿社、八剣社、山神社、天満社の8社がある。

日長神社ともみじ谷
 日長駅東一帯(約12,000坪)の老松老樹繁る頂上に日長神社がある。この神域の北部谷間には名鉄電車の開通を記念して植えられたもみじ数百本がある。秋のシーズンには見事な紅葉となり、日長神社の「もみじ谷」としてもみじを楽しむ人でにぎわいをみせる。