やたら長ったらしく書いちまったけど
被災地の現実と今を少しでも知ってもらえたら嬉しいな。
俺達、本当に困ったもんだ。。
今回の気仙沼の作業依頼も
あくまでも仕事として受けた筈だった…。
4月初旬に東北復興支援プロジェクトリーダーの
水野から気仙沼の方からコールセンターに
作業依頼の入電があって、現地に見積もりに
行ってきたので、ちょっと現場の写真を見てほしいんで
送りますと連絡があった。。
写真に写っていたのは、大震災で被害の大きかった
気仙沼市の沿岸部からほど近い場所。
数枚送られたきた写真どれにも庭木らしい姿は
何も写ってなく、何も無い空き地のような場所に
ただ雑草が生えてる程度。
※水野から実際に送られてきた写真
その写真をPC越しに見ながら水野から説明を聞いた。
どうやらこの場所に元々家が建っていた
らしいんですが、津波で全てが流されてしまったらしく、
唯一奇跡的に残った宿根草みたいな草花が
震災で亡くなったお母さんが大切にされていたそうで、
それが形見のようなんですよ…
ただこの場所にはもう家が建てれないみたいなんです。
5月には道路の復旧拡張工事が始まる為、
近くの別の場所に移植したいんだけど、
どこもやってくれるとこがなくて、困ってうちの会社に
依頼されてきたみたいなんですよと…。
俺と水野のやり取りをたまたま側で聞いていた
復興支援チームのレギュラーメンバーの
名古屋支店原野と顔をあわせるなり、
細かい事情はわかんねぇが
とにかく行くしかねぇな!!と!!
ハイ!!行くしかないっす!!と原野からの即答もあり、
忙しい時期だから何時もより少人数になると思うが、
石巻の復興支援活動(花咲爺プロジェクト)とかまして、
何とか予定調整して行くぞ!やるぞ!と水野に伝え、
そこから慌ただしい日程調整がバタバタ始まった。
直後に現地責任者水野には、今回の気仙沼作業は
仕事として依頼を受け、受注したが内容が内容だけに
少しでも依頼者の役に立ちたいから経費分だけ
もらったらどうかって事で、最低限の費用だけ
頂く事に決定した。
急な日程調整と俺達の仕事の性質上、
かなり忙しい時期に突入しており、
いくら休日返上しての参加とはいえ、
何とか無理して参加出来たメンバーは、
俺と仙台支店の水野、名古屋支店から立石、原野、
豊橋店から大崎、そして、九州福岡東店からわざわざ
飛行機で現地集合の大西の計六名。
被災地へは石巻、女川、南三陸と
色々入ってはいるけど、気仙沼は皆初めてだ。
25日現地到着して目に入って来た光景は、
二年が経過しても、未だに津波で寸断されたままの
鉄橋、線路、ぐにゃぐにゃになったままのガードレール、
そして、高台のみに家が残っていて津波が到達したと
思われる場所は全て流されてしまっていて、
見渡す限りが雑草だけの空き地と、
急遽建てられた瓦礫処分場だけ…。
俺達が現地到着した時には、既に依頼主の方が
来ていて、軽く挨拶を済ませ早速作業内容を確認し、
作業をスタートさせた。
立ち会いだけだと思っていた依頼主の方が、
終始慣れない手つきで作業に加わって頂く姿が、
どうにも意味深く感じてしまって、
震災時ここで何があったのかを訊ねてみた。
そして、今回の作業依頼の経緯も含め、
ありのままの事実を語ってくれた。
話を聴き終わって、改めて震災の恐怖、やり場のない
悲しみと無念さ、とてつもない辛さをしみじみと感じ、
胸が張り裂けそうになった‥。人間の儚さ、無力さに、
ただただ涙が溢れ出てくるばかりで…。
かつてここが自宅兼牧場だった事。
今回の依頼主である姉妹の方々は
別の場所にいて助かったが、
お父さんは自宅近くで遺体で発見され、
ここにいた筈のお母さんとお婆さんが
未だに行方不明のままである事。
生まれたてばかりの仔牛や牛舎にいた
出産間近の母牛が瓦礫に埋もれ息絶えてる光景、
全てが津波で流され跡形もなく無くなっていた自宅跡。
姉妹が数日後何とか自宅に戻った時に
目の当たりにした恐ろしすぎる壮絶な光景の数々。
この厳しい現実に同情した訳じゃないし、
依頼主の方の哀れみを感じた訳じゃない。
だけど今回の作業で到底
お金を頂く気にはなれなかった…。
水野に予定していた支店の売上減っちまうけど、
無償でいいか‥との問いに勿論です!
そもそも被災地の方々の役にたちたくて
日夜頑張ってんですもんね!だよな!
俺達そのために毎回毎回、遠道はるばる
ここまで来てるんだし、そのために日頃から
仕事も頑張ってやってんだもんな!!
しかし、本当に俺達困った人達だな!
でもこれこそが俺達の本質だから仕方ねぇな!
と結局無償で作業させて頂く事に決めた。
俺達が出来る事なんてたかがしれてる…
たかがこんな事しか出来ねぇけど、
被災地のほんの少しでもお役にたてたり、
被災者の方々がほんの少しだけでも
前向きな気持ちになってくれたら、
ただそれだけで充分だ。
今回作業させて頂いた場所周辺に
必ずお母さんもお婆ちゃんも安らかに
眠ってくれている気がしてならない。
今回の依頼者の方もそうだったが、
未だに多くの被災者の方々が仮設住宅で
不自由な暮らしを余儀なくされている。
心に負った計り知れない大きな傷は
癒えることがないだろけどせめて1日でも
早く元通りの生活に戻れる事を心から願ってやまない。
oh庭ya花咲爺プロジェクト、まだまだ未熟な
プロジェクトだが、この活動を通じて俺の掲げる
損得勘定しったこっちゃねぇぞ!!
の利他の精神が、参加メンバーの人間力を
確実に養い、大きく育んでいる姿が誇らしくもあり
嬉しくてたまらない。
人間として、社会人とし て、もっともっと
皆をデカく!デカく!!育てあげ、
世のため人のために存在し誰からも愛され、
必要とされるデカい会社になってやる!!
4月に入りあれよあれよと10日間が経過し、
街を見渡せば足の爪先から頭のてっぺんまで、
親子揃って真新しい服に身を包んだそれこそ、
本当に初々しい小学1年生の姿を見て、
ほっこりした気持ちになったもんなー。
今週は新卒採用の説明会もある。
毎年毎回必ず入社したスタッフから聞く話なんだけど、
保々全員が親から入社を反対されたって事実。。
もっと大きい会社に…
もっと有名な会社に…
とにかく安定した会社に…
何で大学まで出て植木屋??
こんな話を毎年聞く度に正直複雑な気持ちになる。
大きい会社?
有名な会社?
安定した会社?
きっと大切に育てた我が子を路頭に
迷わしたくないとの親心からなんだろうけど、
それって本当に子供の立場で考えてるんだろうか?
俺には全く具体性のないきわめて抽象的な
親の身勝手なエゴ的アドバイスに思えてならない。
今あるどんなに立派な有名会社も、
全てが先人達の途方もない努力と
はてしない挑戦を繰り返しながら無名時代、
弱小時代を経て今日に至っているのを
知らない訳ないと思うんだが…。
本来は大学まで出たからこそ、
社会に出て新たな挑戦や新たな
スタンダードを造り出すんじゃないのか。
社会人スタートした途端に
個性無視の安定?安定?安定と…。
安定って裏を返せば深く考えない事。
挑戦しない事。
そんな努力もしない事。
無難に生きる事。
頑張って勉強してやっとの思いで大学入って
やっと卒業し社会人になった途端、
安定重視の退屈な人生送るってどうなんだよ??
乱暴な言い方すりゃ社会人スタート早々
人生放棄したようなもんじゃねーか!!
若さって何でも挑戦出来る!!
失敗だって散々出来る!!
本当は全て全員が可能性しかない!!
可能性の塊なのによ!!
時代を変えてくのも新しいスタンダードを造り出すのも、
いつの時代も挑戦し続ける少数派の若者が
いるからこそ成し遂げられる。
ゆとり世代と言われた時代に生まれ、
ゆとり世代はダメだ!使い物にならない!と
言われ続けた若者達…本当にそうなんのかよ??
そもそもゆとり教育ってつまらない価値観と
つまらない仕組みをつくったのは紛れもなく退屈な大人達。
世間知らずの平和ボケしたつまらねぇ退屈した大人達が
勝手に作り出したゆとり教育ってくだらねぇ制度を
当事者の若者達が自らぶっ壊して
コレからの新たな日本の主役に
躍り出てくる事を強く願ってやまない!!
たった一度しかない貴重な貴重な
人生を無難に生きるなんざ絶対勿体無いぞ!!
人生お一人様一回限り!!
今回も何とか無事に終わった
復興支援活動花咲爺プロジェクト。。
欲いゃもっと行きたい。
もっと色々したい。
本当はもっと行くべき。
もっと色々するべき。
間違い無くそうあるべき。。
でも俺達の本来やるべき優先順位は明らかに仕事。
仕事が順調だからこそ行ける。
然るべき利益もちゃんと出してるから、
こうやって世のため人のために還元出来てる。
もっと行きたきゃ。
もっとやりたきゃ。
仕事をもっと頑張りゃいいだけの事。
もっともっと世のため!人のため!に存在し続けれる
存在意義のある強い会社に育て上げたい。
だから本気で大真面目に業界大革新を企て、
全国完全制覇に向け虎視眈々と驀進中 。
ビジョンの共有が
出来る人材。
したい人材。
どんどん集まれ!!
中卒だろうが高卒だろうがそんなもん何も関係ねぇー。
温度がある奴なら。
温度さえあれば。
後は何とでもなる!!
この春から次のステージに完全移行する時!!
植木屋なら、4万人の主婦が選んだ!oh庭ya(おにわや)へ!