『有料紙も無料紙も、、同じものを売っている。記者は読者が読むための記事を読者に提供し、その引き換えに読者から読むために費やす時間をもらう。その読者から得た時間を広告主に売っているにすぎない。~無料紙のビジネスも、広告主の手にあるのではなく、間違いなく読者の手の中に委ねられている。読者の信頼と時間をもらえなければ、広告主に売るものは何もないからだ』(稲垣 太郎 「フリーペーパーの衝撃」)
ああ、新聞とか雑誌というものは、読者からもらった時間を売っていたのか、と妙に納得。
いずれの場においても、モノ、カネ、サービスのトレードが起こっていると考えれば、紙媒体は読者にコンテンツを提供し、そこで読者の時間との交換が起こっているということです。
まさに本質的とはこういうものなのでしょう。
雑誌や新聞は、その発行部数という数字を広告主に売っているのではなく、読者からどれだけの時間を集められるのかということをウリに、実際にその集めた時間を売っている、と。
自分の身に置き換えて考えてみると、僕はお肉を売っているということでなく、そこからお客さんが得る価値(集客性とか利益性とか満足感とか)を売っている、とも言えるかと思います。
自分が売っている商品は、お客さんにどんな価値を提供するものなのか。
あるいはどんな価値を提供したいのか。
これを明確にすることが必要なのだと思います。
ああ、どうなんだろう?
ちょっと自分が扱っている商品の提供している「本質」を、ひとつひとつ考えてみることにします。
<参考図書>
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まさに本質的とはこういうものなのでしょう。
雑誌や新聞は、その発行部数という数字を広告主に売っているのではなく、読者からどれだけの時間を集められるのかということをウリに、実際にその集めた時間を売っている、と。
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