朝、満員電車に揺られていると、隣から険悪な空気が漂ってきました。
そちらへ顔を向けてみると、2人の男性がにらみ合っていました。

話を聞いてみると何のことはない、

「ひじ」

が当たった、ということのようでした。


お互いに言い合いをしているのですが、

「やった」
「やってない」

を言い合うばかりで、それ以外の展開はありません。

もちろん、実際に当たったのかそうでないのかは分かりませんが、どちらに非があるにせよ、朝の満員電車で、他の乗客の目がある中でやるべきことではないように思いました。






くだらない、とは思うのですが、両者とも引くに引けないといった様子。
こういうことって、他の場面でもよくあるように思います。


トラブルが起こった時に、自らの正当性を主張する。
もちろんこれ自体は当然といえば当然で、その後の議論の土台としては大事なことだと思います。
しかしお互いに言葉を交わすうちに、感情が高ぶってきて、徐々に議論の前提となる「事実」や当初の「主張」なんかがどうでも良くなってくる。

こうなってくると、当初はお互いの「要求」という形で着地点が見えていたにもかかわらず、問題はどんどんと違う方向へ流れて行ってしまいます。

これでは解決のしようもありません。




理性的に話すべき、というのはやはり優等生的な回答かな、とも思うのですが、でもこれ以外に解決法はないように思います。

誰かと議論をする時には、

「事実」
「主張(自らの正当性についての根拠)」
「要求(自分はどうしたら納得するのか)」

が、大事だな、と。
改めて感じた次第です。


これも当事者ではないからこその意見かもしれませんが、
面子に囚われ、お互いに何も得られないことを思えば、常にこの視点を意識していることは重要じゃあないでしょうか。

こういう点での計算は、最低限必要だと、と僕は思うのです。










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