証拠もなしに断定された事柄は、証拠なしで否認できる
ユークリッドの言葉だそうです。
ユークリッド幾何学だとか何とか耳にしますが、古代ギリシャの幾何学者エウクレイデス氏に始まるそうです。
この言葉を目にした時、ハッとしました。
「あ、否定って簡単に出来ないんだ」
言われてみれば当たり前の事なのに、その事に全く思い当たっていませんでした。
今まで何と気軽に人の意見に反意を示してきた事か!!
気持ちの話なら問題ありません。
「好き」とか「嫌い」とか。
ただ情報は簡単に否定できません。
「○○は××らしいですよ」
「○○は非常に良いみたいですよ」
など。
日頃周囲で聞かれるひとつひとつの情報について、必ずしも深い知識を持っている訳ではないはず。
なのに、安易に「それは違う」なんて口にしていやしなかったか。
反省。
反省。
批判的な見方は決して悪いものではないと思います。
ただ、そこには作法がある様に思います。
人の意見に反対を述べるからには、その根拠を述べなければならない。
これは意見を出してくれた、情報を与えてくれた相手に対する礼儀でもある様に思います。
僕ははっきりしない物事に対しても、妙にキッパリと断言してしまうところがあり、これはこれで自分らしいとも思っているのですが、ただ人と話し合いをしていく中においては無用の混乱をきたす原因ともなってしまうように思います。
とはいえ、完全に明らかでなければ意見を述べられないというのも窮屈です。
という事は、重要なのは強弱なのでしょうか。
自分の意見がどれほど信頼できる情報であるのかという事については、メリハリをつける事によってニュアンスを伝える。
あるいはハッキリと「△という情報源によると」とか「はっきりしてはいないのですが」等と明らかにしておく。
そういった事が必要かもしれません。
いずれにせよ、否定するというのはそう簡単な事ではないのでしょう。
根拠が重要であるという点では、主張と同じ土俵に立っています。
この事を自覚しているのといないのとでは、議論の進め方等が変わってくるかもしれません。
これも一つの戒めとして、心に留め置きたい言葉です。
批判には作法がある。
是非前向きで、上品な議論をしたいと思います。