早朝の布団の中、わたしはぼんやりした頭で、
とりとめもなく思う。
わたしのこの身体があるから、
はじまりがあって終わりがあるのだな
身体に、(筋)肉に、感情は宿る、というが、
この身体があるから「この世で、今生きている」ことを感じることができる
苦だけじゃない
この身体があるから、楽を知ることもできる
ただ感じることを、これは「苦」だとこの身体に閉じ込め、囚われるから、
さらに「苦」が「苦」として、「苦」に成って、あげくの果ては「苦」のオバケか
そんな考えが、ふと浮かんでくる。
早朝回らぬ頭の中に、ぼんやりと漂わせておく。
おはよう。
今日も朝がきた。
無事に、目が覚めて、
わたしは呼吸をして、生きている。
有難いこと。
「しくはっく(四苦八苦)」という言葉は、
「生」「老」「病」「死」で四苦。
加えて
「愛別離苦(あいべつりく)」
「怨憎会苦(おんぞうえく)」
「求不得苦(ふぐとっく)」
「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」
4足す4で、全部で八苦。
お釈迦さまが「人生は苦なり」と、その解決のために出家された、とか。
はたして、お釈迦さまに解決できたのだろうか。
苦しみ、ってなんだろう。
「人生は苦なり」って、そんな「苦」ばかりの人生はいやだなぁ、
正直、そう思う。
「楽」あれば、「苦」あり
「苦」あれば、「楽」あり。
これがいい。
「楽」とは、「有難い」と思うところからやってくる「喜び」だと
わたしは思うようになった。
ただ在る。
その真ん中に、喜びがある。
そんな瞬間に、身を置いていたい。
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