こんにちわぁ飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

 

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今日も寒い朝でしたね。

冷えと疲労は病気になりやすいので

暖かくしてお出かけくださいね(^^)

 

アーガイブスのブログになりますが

1月7日、今年は土曜日だったので

お稽古の前の時間を利用し

久々に愛宕神社「出世の石段」へ行ってきました。

東京23区で一番高い山(天然の山)の上にあります。

 

神社にお参りするために表参道を行くには

「出世の石段」を登ります。

 

隣を登っていた20代の女の子2人連れは

「うあーー。石段酔いしてきた💦
石段がぐにゃぐにゃ波打ってるように見えるーー」
と言ってたけど

まさにその通りなんです。

私も手すりを掴みながら登ったけど

途中から登ろうとすると階段がぐにゃっと歪んでみえてきましたもの。

これがね、下から見るとこんな感じ。
登る人は前かがみになるほど急勾配。
しかも1段の幅が25cm位あるから

徐々に足が上がらなくなるんです。

 

みなさん知ってました?

この石段は途中で立ち止まってはダメなんです!

途中で立ち止まると、出世しないとか💦

まっこと!!!難儀な石段なのですよ。

 

以前登った時は、そんなこと知らなかったので
やる気満々で最初からハイペースで登ったら

途中で息が切れて休憩してしまいました。

 

後からそれを知っって「しまった➖💦】と思ったけど

次に登る機会がなく2023年を迎えてしまいました。

 

 

うーーん、この前途中で立ち止まってしまったから
思うように出世しないのかも???

自分の努力の足りなさを転嫁してたけど

偶然7日に近くに行く用事があり時間もあったので

再挑戦して登ってみました。

 

 

そこで登り方アドバイス上差し

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【出世の階段」登り方

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今度は最初から、恐ろしくスローペースで

一歩一歩溜めを作って登ってみたら

楽々と登れました音譜音譜音譜

 

🟩無理しちゃ続かない!

🟩人のペースを真似してもだめ!

🟩自分のペースでゴールを目指すことグッ

 

言葉ではなく実際に体を使って覚え込ませる神社ですお願い

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 出世の石段の起源
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時は寛永11年

江戸三代将軍家光公が将軍家の菩提寺である

芝の増上寺にご参詣のお帰りに

ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。

家光公は、その梅を目にされ、

「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。
しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。

いてのぼり降りをするのすら、

ちょっと勇気が必要なのに

馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど

とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。

家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなり

もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに

この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。

家光公はその者の顔に見覚えがありません。

「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「あの者は四国丸亀藩の家臣で

曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと

まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り

馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ

その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。


平九朗が家光公に献上した言われる梅の木

この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を

「出世の石段」と呼ぶようになりました。
なお、男坂を見た人で
「こんな石段を馬が上れるわけがない

曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」
と思うようですが
江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして
成功している人が何人かいます。

  • 明治15年・石川清馬
  • 大正14年・岩木利夫
  • 昭和57年・渡辺隆馬
     

神社では、男坂を馬で上下に成功ひた方の絵や写真が飾ってあります。
また、曲垣平九郎が献上したと言われる梅の木は

拝殿前の左手にあり、神社の四季を美しく彩り

【将軍梅】と呼ばれています。

長くなってしまいましたが

今年2023年出世の石段を私のペースで登りきりました㊗

 

機会があったら登ってみてね飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート

 

 

 

 

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