最近、「器」について考える機会が多々有りました
「器」を大きくする方法は・・・・例えば家に例えると~
土地が有って、建物を建てますが、最初に小さな家を建てて、狭くなったから広い家に住み替えて~
更に、古くなったら、修繕したり、新しく建て替えたり~
住む家に付いては、お金は掛かりますが、余力が有ればその場の状況に合わせて変更可能です
人間の器となると・・・・
人に揉まれて、様々な形に変化します
「揉まれ方」に寄りますが、善意に受け止める事が出来た人は体験を糧として変化し、やがて大きな器と成長します
揉まれる過程で、当然凹んだり、傷付いたりします
ネガティブな事を繰り返す内に、自分の殻に引きこもり、傷付く事を避け、自尊心を糧に、他人を批判します
多くの人類はその様なパターンで「人間の器」が形成されます
日本人の一般的な特徴として、幼い頃から「他人に迷惑を掛けてはいけない」と親から教えられます
結果的に、小さな器を大切に保ち、壊される事を避けます
私もそうでした
二言目には「他人に迷惑をかけるな」と云われて育ちました
「迷惑って何だろう?」といつも疑問に思っていました
「人は人に寄って傷付くけれど、人は人に寄って癒される」 ここに辿り着き、心理学を深めました
そもそも「迷惑」って何でしょう?
迷惑を掛けないのであれば、接触を避け「籠の中の鳥」の様に孤独でいるしか有りません
仕事もしない、学校にも行かないで引きこもっていれば、傷付く事も無いでしょう
コロナウィルス自粛期間の様に、毎日怯えながら生活を送るのでしょうか?
既に魂レベルで、磨きあがった「器」をお持ちで有れば、是非とも積極的に人を導き社会貢献するべきでしょう
インドの優れた親は「おまえは人に迷惑を掛けて生きていくのだから、他人を許せる人間になりなさい」と教育するそうです
「許す」・・・
全てにおいて当てはまる言葉ですね
「許す」ことの尊さ、「許す」ことが出来れば争いも戦いも起きません
許せる「器」に成長すると、壊れない、凹まない、柔軟性の有る慈愛に満ちた人間と成れるのでしょう
インドが何故、「カースト制度」なのかも理解できる様になりますね
様々な「器」の人間が存在し、生きながらにして仏教で云う「輪廻転生」を繰り返す国、インド
人生はいくつになっても学びです
人間の器を大きくしたいのであれば是非、積極的にドンドン社会と関わって、多くの事を体験するべきだと思います
情報化社会なので、「検索」すれば知識は身に付きますが「体験」にはなりません
人は体験に寄ってのみ、魂レベルで成長します
「一生勉強、一生学び」
愛と光に感謝を込めて