デスカフェへの思い
人は必ず誰もが迎える「死」
なぜ死について話すことはネガティブなのだろう。
縁起でもないとか、不吉だとか。なんか怖い、そしてなんか暗い。
お空に行ってしまった・・・というと黒っぽくなくて、空だけに水色や白のイメージになるのに。
看護師として病棟で勤務していたころ、死が近づいている患者さんから、何度か「死」に関する話をされたとき、はぐらかしたり、否定して励ましたりしていました。それが正当な対応という感じで。
もし、受け入れて会話をしたら上司や医師に「何を言っているのだ」と厳重注意を受けていたと思います。
でも、「死」を感じ孤独に不安と戦っているのに、賺すような対応に違和感を覚えるようになり、かといって相手を不安にさせない対応ができるかなんて当時20歳ほどの若い私には自信もなく。
だけどやっぱり、勇気を出して話してくれた「死」というテーマを誤魔化さず、自分の言葉で話せる看護師でありたいと思い患者さんと接しています。
そして、その瞬間、色んなことを思い出し振り返ったときに「まぁ、いいっか」と思って人生を結べたらなと思うのです。
「死」についてひとりで考えると不安になる。この人生が終わってしまえばいいのにと思う時でさえも。
だけど必ず訪れるのだ。「死」は。突然、予想外、それがいつかは分からない。
(上り坂、下り坂、色んな坂があるが、人生において一番きついのは「まさか」だよ。とある患者さんの言葉。)
それは、いつまで生きる、生きられるのか分からないことでもある。
そして、「死」の先がどんななのか誰も知らない。
明日は当たり前に来ると思うから、やりたいことを先延ばしにする。
だって明日、いつかやればいいや。だから・・・
そして突然近づいてきたときに、「ああすればよかった」「ああしておけばよかった」なんて思うのだろうな。
だから、元気な時から、若い時から、「死」について気軽に話せる場を作りたい。
それは、どう生きていくか。Happy endにするためのQODを高め有意義な人生を送るために。
その瞬間、自分の人生を振り返って「ま、いいか」と思って結べるように。
ひとりで考えるより、皆で語り合うことで視野も広がり自分自身をもっと大切にしてあげることができる。
はぐらかさずに語り合える。