1年半ぶりにお世話になっている知人と会った

年齢も年齢なので、近況報告は体のこと、健康のこと笑

 

今年の2月に盲腸になってね

手術したんだよ

 

そうなんですか

実は私も最近して、療養で休職中なんですよ

と私

 

年取ると何でだろう

お互いの不健康自慢が始まる

 

そして、いつどうなるか分からないねという話となる

これも中年あるあるかもしれない・・・

 

そんな話の中で

瀬戸内寂聴さんが、里見弴さんとの対談の中で「死とは無だと」言われて

寂聴さんが手術の時に麻酔で意識が薄れていく中で

「死ぬ瞬間もこうなら死とは素晴らしいことだ」と言っていたよ

と聴いた

 

2度全身麻酔の手術を受け、しかも2回目はほんの数週間前

記憶がフレッシュなうちに、詳しく知りたいと思い調べたら

文春オンラインに掲載されてるではないか!

 

内容はというと

里見氏に寂聴さんが

「死ぬってどういうことですか」と尋ねたら

 

「死とは無だ。自分は死ぬことが怖くない

無とは何もないこと」

と答えが返ってきた

 

里見氏の「無」という言葉がずっと頭に引っかかっていた寂聴さん

全身麻酔で意識が遠のきながら

「あぁ、これが無なのか」と思ったそう

そして

「これが無なら、死とはなんて甘美なものだろう」

と、このまま意識が戻らなくてもいいという気持ちにもなったそうな

 

夢も見ず、何もなく意識を失い「無」になった

覚醒のときはカーテンが音もなく開かれるよう感じたとそのコラムに書いてあった

 

私は、魂は存在すると思っている

そう思える体験もしているから

 

このコラムを読んで、死は怖くないとまだ思えない私の思考

・生きているうちのやり残しの後悔

・残された大切な人のこと

・魂は存在すると思っているから死後の自分の意識

 

特に、死後の自分の意識について不安を持っていたのかなと気づいた

頭のどこかでは心臓が止まり、呼吸も止まってしまえば終わりよね

とも思っているのだけど

魂は存在するとも信じている

 

全身麻酔を受けた時の感覚が超フレッシュなため、寂聴さんの言っている

「無」という感覚を実感できるからこそ

 

死とは無だ

無ということは何もないこと

 

死後の意識のことまで考える必要はなく

何となく重く感じていたものが楽になったというか

死んでしまえば 「はい。おしまい!」

THE END

それなら、それもありかもとも思えた

 

死んでからのことを生きているうちから心配するくらいなら

もっと縛られず好きなように生きて良いんじゃないかな

と改めて思える

 

そうすれば、やり残しの後悔も少ないはずだし

残された大切な人たちに対して悲しい感情よりは

ありがとうと感謝の気持ちだけになるかもしれない

 

こればかしは死んでみないと分からないけど

 

死ぬ瞬間のこととはまた別の話で

そんなことを色んな人とも話したいなと思う11月の終わりの日