今日から2日間、福井大学でミリ波・マイクロ波による放射性物質セシウムの土壌から脱着の実証実験を行います。放射性物質は現在、大学の研究機関では扱えないので、昨年末から年始にかけて一生懸命作った非放射性のセシウムが含有しているサンプルを用いて実験します。


ところで、もうひとつの事業、自然や森林を活用したメンタルヘルス対策の事業で、老子や荘子の思想を研究しながら、“ありのままの自分”、“無為自然”などをカウンセリングの根本として技術を磨いていますが、先日、ある場所で、日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士のことを聞く機会がありました。


そのことを少し綴ります。


荘子と恵子が、川の渡しであそんでいた。すると、荘子が言った。

『ハヤがくつろいで泳いでいるなあ。あれこそ、魚にとって楽しみだそう。』

恵子が言った。
『君は魚でないだろう。どうして魚の楽しみなんてわかるんだい』

荘子が答えた。

『君も僕でないよね。僕が魚の楽しみを知っているかどうかなんて、わからないだろう。』

恵子が言った。

『確かに僕は君ではないから、君のことはわからない。しかし、君も魚でないから魚の楽しみなどわからない。とういのは確かでないかな。』

荘子が答えた。

『どうだい、最初に戻ってみようじゃないか。「どうして君は魚の楽しみなんてわかるんだい」と質問している時点で、君が僕が知っているかどうか、見当をつけていたんじゃないのかい。僕もこの川のほとりで魚の気持ちの見当をつけたのさ』


湯川博士の子供の頃、お祖父さんに漢籍の教養を叩き込まれたのは有名な話ですね。博士がもっとも大事にしている愛読書のひとつが『老子』であり『荘子』なのです。


博士がこんな話をしたのは次の理由からでした。


<おおざっぱに言って、科学者のものの考え方は、次の両極端の間のどこかにある。

「実証されていないことは物事は一切信じない」という考え方。

もうひとつが、「存在しないことが実証されていないもの。起こり得ないことが証明されていないことは、どれも排除しない」という考え方。

もしも科学者が、この両極端のどちらかに固執していたとすれば、今日の科学はありえなかった。

問題は、両極端のどちらに近い態度を取るかだ。>


老荘思想と現代物理学はたいへん相性が良いものです。


それを噛みしめながら今日から実験を開始しますよ。