12月19日韓国で大統領選挙が行われ、朴槿惠(パククネ)さんが韓国初の女性大統領になりました。


パククネさんのお父さんは、1961年に軍事クーデターによって政権を掌握し、4年後の1965年、日韓条約を締結させ、日本からの借款と韓国人の努力の両輪で「漢江の奇跡」と言われた高度経済成長時代を築いたあの朴正煕(パクチョンヒ)さんです。


朝鮮戦争後の韓国は、国土が破壊され、たいへん貧しい国でした。朴さんは、日本のような豊かな国づくりを目指し、まずは開発独裁という手法で経済を優先させ、とにかく国民が普通に飯が食えるよう様々な政策を進めてきました。


私が大学生であった頃、つまり1975年~1980年はちょうど朴政権末期でした。1979年10月26日(この日は家内の誕生日なのでよく覚えている)に、朴さんは側近によって暗殺されるのですが、クネさんの顔を見ながら、当時のことをいろいろ思い出していました。


朴さんの評価はひとによって違うでしょう。


私も若い頃、政権批判をし、デモに加わり、どこかに連れていかれたりもしました。しかし、少なくとも今日世界でもトップ10に入る程の経済力を持った国の基盤を作ったのは紛れもなく朴正煕さんであって、他の人であったならばおそらく、今の韓国の姿はないでしょうね。


朴さんは親日家のレッテルを今も貼られています。“親日派(シニルパ)”というのは、韓国ではあまり響きはよくなく批判の対象となる言葉です。


しかし、敢えてその批判を一身に受けながら、日本からの協力を得て、国土建設や経済成長、そして人材育成などに力を入れてきたのは、朴さんが日本に統治された時代に、日本のことを真摯に学んできたからに他なりません。


尊敬すべき人間を、征韓論を唱えたあの西郷隆盛であるとしたのも、幕末の英雄、西郷隆盛の「人を相手にせず、天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」や「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。」といった言葉を座右の銘にしていたからで、

これらからもその心意気がわかるではありませんか。


そんな朴さんの娘さんであるパククネさん。「私は国家と結婚した」として独身を守りとおしたクネさんの前途に課題は山積していますが、ぜひ頑張って、心豊かな国づくりと共に成熟した日韓関係を築いていってほしいと願っているのです。



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