ここに「竹島密約」というロー・ダニエルというコンサルタント会社出身のジャーナリストが書いた本があります。戦後の竹島・獨島にまつわる様々な日韓の政治的出来事を丹念に調べ上げ克明に書いています。この本を中心に、竹島・獨島がどんな経緯で今日に至ったか考えてみたいと思います。


今から47年前の1965年6月に「日韓条約」が締結されました。韓国の現在の隆盛は、この条約が結ばれたからこそあるといっても過言ではないでしょう。当時6億ドルの有償無償の借款によって韓国政府は国内のインフラの近代化に着手しました。そのお金で発電所や道路、鉄道や製鉄所などが作られました。財閥といわれる巨大な企業グループが形成されたのもその頃からです。


もっとも、突詰めていけば韓国の政治経済の起源は戦前に遡ります。日本の統治時代に、貴族階級の“両班”階級ではなかった“中人”とよばれる実務官僚や技術者階級が中心となり、日本の近代的な政治経済的技術やノウハウを学んでいったのです。戦後、韓国が建国された後、中核を担ってきたのもまさしく彼ら親日派の人材だったのです。


一方、北朝鮮にもそのような人材がたくさんいましたが、日本に協力した者として批判を浴びせ倒し悉く粛清したのです。そして、政治経済の実務能力のない“素人”たちの手によって国が動かされてきたのです。その結果が今の体たらくにつながっています。


ここで、竹島・獨島の話をする際、戦後から日韓条約までの歴史を知っておく必要があるので、簡単に説明します。


朝鮮戦争が終わった頃の韓国は、世界の最貧国のひとつとして数えられていました。戦前から独立運動で名を馳せた李承晩(イ・スンマン)が解放後米国から帰ってきて韓国の初代大統領になり、1959年の全国的な反政府デモによって退陣するまでの長い間、政権の座について韓国を引っ張ってきました。李承晩が失脚した後、張勉という人が政権を担ったのですが、統治能力に乏しく貧しさが解消される事はありませんでした。


1961年5月に、陸軍士官学校出身の若き軍人達の手によってクデーターが起きました。そのリーダーが、後に大統領になる私が敬愛する朴正煕(パクチョンヒ)です。朴さんは、とにかく国民を食わしていかねばならぬと並々ならぬ覚悟で国家の経済を立て直そうとしましたが、何しろない袖は振れず、日本からの援助でこの難関を乗り切ろうとしたのです。「日韓条約」を締結することは、すなわち韓国にとって大きな課題を克服することであり、国民の熾烈な反対を押し切っての決断でした。


この日韓条約締結のやり取りの中に、竹島・獨島の領土問題が論じられていたのです。