先日我が母校高麗大学校の創始者である金性洙先生の事に触れたが、先生がちょうど太平洋戦争の真っ只中、1943年11月6日付けの「毎日新報」に『正義のために死すー皇国臣民の責任は重大なり」と題した論文を掲載しているので、その一部を簡潔にまとめて記したいと思う。


■諸君(高麗大学生)は、大東亜の聖戦に参加する義務がある。

■我らはこの戦争を通じ、新時代の到来を見、人類の歴史に残る大偉業を成し遂げるのだ。

■万一、これに参加しない場合は、大東亜の秩序は我々抜きに成し遂げられてしまう。

■この戦争から逃げれるなら個人の命は守れるかもしれない。だが、後に生まれてくる諸君の兄弟姉妹はどうなるのだ。

■諸君の犠牲は決して無駄にならないとここに宣言しよう。

■朝鮮半島の未来は、諸君の今後の行動にかかっているといって過言ではない。


この言葉に金先生の苦悩が伺える。日本と朝鮮の間に立つ当時のリーダー達の共通の悩みであるが、私がもしその立場にいたとしても、おそらく金先生のような崇高な内容でなくとも、同じような意味の言葉を発したに違いない。


今に生きる者は、歴史的事実を簡単に掴む事はできる。後から批判する事はそれこそ少し頭の良い高校生にだって言えることだ。韓国でも北朝鮮でも、戦前の日本統治時代に、いろいろな分野で活躍していた朝鮮人リーダー達を、日本に協力した親日家としてあたかも「売国奴」のような扱いをして、戦後から今まで、厳しく批判してきた。とんでもないことだ。


腐敗した李氏朝鮮の政治経済社会制度を立て直すためには、むやみに独立を叫ぶよりも、日本から多くのものを学び吸収し、まずは、精神の独立を図らなければならなかったことは、より深く歴史を知ればわかることだ。それほど、当時の韓国は残念ながら力がなかったのである。


日本の韓国統治時代の36年の評価はいろいろあるが、これだけ言えるのは、現在の韓国の躍進の基礎となったのは紛れもなく、戦前、近代資本主義や政治制度が日本から導入され、それを若き韓国の官僚や企業家が我が国のものとするために刻苦し努力して吸収した結果であるのだ。その真実を決して「後出しじゃんけん」の如く軽々に批判してはならないと思う。


金先生をはじめ、その当時の教育界にいた人たちの努力と苦労も、我々がしっかり理解すべきであり、その時代、その場所にもおらず、歴史を深く探求し洞察する気概も能力もない者が、戦後出された情緒的でしかも観念的な思想や意見をそのまま鵜呑みにして評価してしまうことに、大きな問題があると言わざるをえない。


韓国の企業が、世界各国で脚光を浴び、韓国人の評価も高まる中で、もうそろそろ、過去の歴史について客観的な目で、かつ真実を掴むための心の広さを持つべき時代に入ったのではないかと、最近特に思う。


株式会社淡海環境デザイン

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