昨日の夜、「近江渡来人倶楽部」の総会と懇親会に参加してきた。この倶楽部は、2000年に滋賀県に在住する在日韓国人の若手有志が、既存の組織とは別に創設したものだ。いろいろ活動しながら今年で10年になる。


その目的を簡単に言うと、

1.近代の渡来人である在日韓国・朝鮮人への根拠のない民族的偏見や差別を解消し自由で公正で開かれた日本社会の実現を目指す

2.現代の渡来人である日系南米人やアジア人など外国籍住民に対する無理解や排他的対応を改善することにより、彼らが地域社会の一員として心豊かに暮らす事のできる包容力と多様性の持った多文化共生社会の実現を目指す

としている。


そもそも、渡来人とは何かというと、4世紀から7世紀頃に中国大陸や朝鮮半島からこの日本に移住してきた人のことを指す。稲作、漢字、仏教などは渡来人がこの地にもたらしたものだ。


最も古いのが、縄文時代に中国の春秋戦国時代の混乱と戦乱を避けて日本に渡って来た人々で、その時稲作技術を持ち込んできたらしい。それが以後の弥生時代につながっていくのだ。


4世紀末から6世紀の古墳時代には、朝鮮半島から亡命してきた技術者や学者が大和王朝に仕え、たいへん重要な地位を占め文化の発展に寄与した。


そして、7世紀になり、朝鮮半島で高句麗、新羅、百済の三国がその存亡をかけて熾烈な戦いを繰り広げた結果、新羅が中国の唐王朝と連合し、高句麗と百済を滅ぼした。その際百済の遺臣たちが数多く日本に渡ってきた。その時当時の様々な先進的な技術や学問を持ち込んだのだ。


京都駅から湖西線という路線に乗ると、2つ目の駅に「大津京駅」という駅がある。天智天皇の時代に都があったところだ。この大津京に百済からの渡来人たちが官僚や技術者としてたくさん仕えていた。当時の文部大臣であった鬼室集斯(きしつ しゅうし)もそのひとりで、現在滋賀県の日野町というところに彼のお墓がある。私も一度参ったことがあるが、とてものどかな農村の一角にある。今も韓国からの観光客も訪れている。


過去の渡来人たちは、日本のその後の発展のために国家に仕え身を粉にして働き続けた。彼らと同じように現在の渡来人たちは、この日本社会でどんな貢献ができるのか、どんな能力を提供できるか、真剣に考え学び実行していかなければならない。


「自由で公正で開かれた社会」「心豊かに暮らす事のできる包容力と多様性の持った社会」の実現を日本に求めるなら、その一方で、このことの達成がなければ今も昔も渡来人としての価値はないことを心すべきであると思っている。


株式会社淡海環境デザイン

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