早いもので今日から師走。今年もあと1ヶ月だ。


今から50年前、1959年の12月の新潟は、さぞかし慌しい様子だっただろう。14日に975人の在日コリアンが新潟港から北朝鮮の清津(チョンジン)港に向けて出航する準備にてんやわんやであったに違いない。


1945年8月15日に太平洋戦争が終結したが、当時、日本にいた朝鮮人は200万人にも達したそうだ。その内、140万人が日本から解放された本国(当時は南朝鮮といった。大韓民国という国はまだ存在していなかった。)に帰り、60万人が日本に残った。現在、私のような在日韓国・朝鮮人、或いは在日コリアンと呼ばれるのはこれらの人々やその末裔だ。


戦後、在日韓国・朝鮮人は、差別や偏見が渦巻く社会で、また経済的な貧困の中でたいへん苦しい生活を強いられていた。一方、1948年に今の韓国や北朝鮮が建国され、米ソの冷戦構造の中、2つに分断された国家として、出発したのだった。


1950年6月、当時のソ連の支援を受けた北朝鮮が突然南侵しソウルを占領、その勢いは止まらず、釜山まで北朝鮮軍は破竹の勢いで突き進んでいった。韓国の北朝鮮による赤化統一の実現は極東における大きなリスクであり、米国を始め西側諸国は、それを食い止めるために、国際連合で国連軍創設を可決させ、米軍のマッカーサー司令官をリーダとする国連軍が韓国の西海岸、仁川(インチョン)に上陸し、北朝鮮軍を挟み撃ちするという戦略で、一気呵成に戦局を挽回すことに成功した。


その後、勢いを増した国連軍は北朝鮮軍を中朝国境まで追い詰め、韓国が統一する寸前まで到達したように思えた。しかし、そこに中国大陸から北朝鮮の義勇軍として大量動員された中国軍が朝鮮半島に攻め入り、形勢は全く逆転した。瞬く間に、国連軍と韓国軍は撃退され、再び北朝鮮軍がソウルを占領するに至った。その後、国連軍はソウルから北朝鮮軍を追い出しが、今の軍事境界線付近で不毛な戦いが繰り広げられながら、1953年に休戦となったのだ。


この朝鮮戦争によって、多くの北朝鮮の若者が戦病死した。戦後の経済社会を復興させるには、人手が必要であった。そこで、北朝鮮政府は在日朝鮮人に目を付け、「北朝鮮はこの世の天国だ」、「金日成首領様に抱かれて幸せな生活を送ろう」という今から思うと全く滑稽な情報操作で純粋無垢な多くの在日の若者を騙し、北朝鮮へ労働力として帰国させたのだった。


日本の社会に希望を見出せない多くの在日の若者は、北のこの巧みな宣伝を信じた。そして、祖国復興のために北朝鮮へ行くことを希望する人々が跡を絶たなかったのである。その数、実に93,340人にも達した。


(明日に続く)


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