gooブログが表の顔なら
こちらは裏の顔である。

だから、あまり言いたくない事を書こうと
思う。

私は一卵性双生児で、弟がいた。
昨年の暮れ、突然死してしまった。

その日の前の夜。出かけようとした弟が
家に帰ってきて、腰が痛いから救急車を
呼んでくれと言う。

腰痛で救急車を呼んだら、怒られると
思った私は救急相談センターに電話。
弟から直接、相談員に症状を言ってもらう。
センターからの回答は緊急性はないので
近くの病院を紹介するとの事であった。

翌朝、早速弟を連れてタクシーで病院へ
向かって診てもらうと、内蔵に腫瘍が
あるのでは?と、とりあえず血圧を
測ることにした。
しかし何度やっても血圧計がエラーが
出るので看護師さんが本人が痛がるのも
構わず、思いっきりバンドを強く締めたら
そのまま....。

蘇生術を試みたが、間に合わず
還らぬ人となった。

死因は大動脈解離。
生存率は極めて低いという。
予防は難しく、原因はわからないが
高血圧も原因の1つだという。

確かに弟は上が200近くあって
高血圧だった。だがなぜか医者には
行きたがらなかった。

私も高血圧だが、医者へいって
降圧剤を処方してもらっているので
安定してる。

だから行った方がいいと何度も
行ったのだが。

しかし今もずっと思うのである。
もし救急車をすぐ手配していたら
助かったのであろうか。

近所の方の親族で、弟と同じ症状に
なった人がいたそうだが、
救急車の中で亡くなったそうである。
だから防ぎようがないよと言ってくれては
いるが、

もし救急車で別の病院で処置を
受けていたら助かったのではないか?
私は重大な過ちをしたことになる。

弟を殺めたのは自分だ、
自分が殺してしまったんだ。
泣いても悔やんでも生き返ってはこない。

小さい時からいつも一緒に行動。
同じおもちゃで遊び。同じ絵本を読んだ。

よくけんかもした。
口でやりこめると、弟はムキになって
暴れて、親に叱られた。

外食が好きでよく裏通りの美味しいお店に
連れてってもらった。

生まれつき記憶力がよく、
私より頭の良い
弟は地元の地方公務員になった。
頭の悪い私は地元の中小企業に就職した。

ほぼ定時に帰れた弟は多趣味だった。
格闘技を習い、資格試験にチャレンジ。
ボーカルスクールに通い、楽器の演奏もした。
美術館通いをして絵画の勉強をし、
次はバイクの免許を取ると言っていた。
夜の店に行くのも好きだったな。

そのため膨大な数の本を読んでいた。
趣味以外にも、
司馬遼太郎や池波正太郎等の
長編小説も読んでいた。
ちなみに最期に読んでいたのは
横山光輝の三国志だった。

自慢の弟だった。

その間私は仕事とビデオ鑑賞しか
してなかったけど。

それまでうつ病で休みがちで
ようやく普通に出社できると思った矢先の
弟の死。

完全に精神をやられ、
復帰した後でも休みがち。
その後の転勤による環境変化が
私にとどめを刺した。

今に至る休職である。

そのおかげといってはなんだが、
相続の手続に時間が取れるようになった。
兄弟間の相続は、
親祖父母に至るまでの戸籍を
たどる必要があり、
時間がかかるのである。
これがわからないと銀行で
通帳1つ解約できない。

相続は終わったが、
次は膨大な遺品整理である。
大半は処分せざるを得ないが、
捨てるのは非常に辛い。

でもこれが出来るのは自分しかいないんだ。
と言い聞かせ、今も続けている。

今でも帰って来るんじゃないかと
思ったりする。

いつも私の隣で寝ていた弟。
今は寂しいからいろんな物を
置いちゃってるけど。
時々夢に現れて、目が覚めるとつい
隣に声をかけたくなる。
あっいないんだ...。

昨日の夜なんだか急に思い出して
ブログに書き留めてみようと思った。

今朝普通に起きれたけど、
横になった。何もする気がしないのと、
とにかく眠ろうとした。
いつもとは逆に。

自分が弟を殺めたということ。
なぜ救急車を呼ばなかったと悔やむこと。
そして弟に無性に会いたくなったこと。
もう1年が経つのに。

だらだらと思いつくままに書いて
しまったけど、この辺で止めておく。
涙で画面が見えない。

死んでしまいたいというのは
こういう気持ちなのだろうか。