5月13日 音楽評論家の小西良太郎さんが亡くなった。


歌謡曲の世界ではこの名前を知らない人はまずいないだろうというほどの著名人だ。

小西さんの知遇を得たのはまだ私が20代で、歌の方向性を必死に模索していた50年程前の話だ。


20歳でこの世界に入り、当時はデビュー作"目ン無い千鳥"のヒットで連日リバイバル曲のレコーディングという日々で、オリジナル曲のヒットを望む希望がなかなか為されず、ジレンマに苦しむ日々が続いていた。氏との出会いは、そんな日々の中であった。


当時、スポーツニッポンの文化部長という肩書きで颯爽たる風貌の氏と会食を行い自分の想いを伝えると、私のデビュー10周年のリサイタルに向けての記念オリジナルアルバムの楽曲12曲を提供して下さった。


"巷の歌/大川栄策の世界"こんなアルバムタイトルで三人姉妹、四畳半、女が死んだ朝、無宿、隣の嫁さん等、曲目のタイトルだけでも興味津々という歌ばかりだった。このアルバム以降、全てオリジナル楽曲に切り替えてリバイバル作品のレコーディングは封印した。


スポーツニッポン系の出版社からの楽曲提供はこの後も続き、前述の楽曲の中から三人姉妹、四畳半をシングルカットし、その後四畳半の作曲者の市川昭介先生の作品が続くことになる。市川メロディとの出会いは小西さんのお骨折りに依る所が大きい。


勿論、これは多くの方に支えられての事だが、小西良太郎プロデュース、制作三佳令二という制作ラインが決まり、いよいよ自分自身で切り拓く歌人生をスタートすることになった。


東芝レコードでは名和ディレクターの名で多くのヒット曲を手掛けた三佳さんはフリーに転身後、小西さんとの名コンビで小西さんの兄貴分という関係であったように思う。

三佳さんは韓国メロディのオーソリティでもあり、私が平成に入り韓国メロディアルバム3枚、シングル3枚をリリースするきっかけを作ってくれた人でもある。


この後、"大川栄策の世界part2あなたに生きる"全12曲オリジナルもリリースしてヒット曲に向けての足がかりを掴むことになるが、この後の展開はまたいずれご紹介したいと思う。


因みに冒頭のタイトルの"酔々独歩"は御令室が書かれた会葬御礼の栞に小西さんが好んだ造語からの引用である。


兎に角、無類の人好き、歌好きの人生を全うされた小西さんが今頃天上で多くのうた仲間との再会を喜んでいる姿が目に浮かびます。


                 合掌