2001年8月19日に22歳の私はプロレスラーとしてデビューしました。


吉本興業が運営していた吉本女子プロレスjd' でアストレスというアスリートと女優の融合の企画でプロレスラーに。


今じゃ女優がプロレスをする事は珍しくないけど、あの頃は画期的な企画だった。

2年のプロレス修行をすれば映画に出れるとう餌に引っかかったんだけど…


私はもともと声優さんになりたくて事務所に入ってたけど、付加価値が欲しくてプロレス界に入ってきた。


そんな私たちを本当のプロレスラー達は面白くなかったと思う。

足掛け。

そう思われても仕方がない。

控え室にも入れてもらえなかったし、扱いは別。


だけど、一生懸命にプロレスと向き合っているのを見てくれた先輩方は受け入れてくれた。

プロレスのプの字も知らなかった私が、プロレスの奥深さを知って、プロレスを好きになって、2年間のプロレス修行を終えてもプロレスを続ける決心をして、今に至る。



同期2人がセクシー系だったから、真逆を行こうと思ってアイドル路線にしてみたら

『歌って踊っておまけに弱い自称アイドルレスラー』

と雑誌に書かれてたわ(笑)


昔は魔法が使えたり、歌いながら入場したり、パジャマ着てみたり、コスチューム自分で作ってみたり。

何でもやってたなぁ。


今、10周年記念DVDを観ると、デビュー当時は本当頭おかしかったし、それで良いと思ってたからタチが悪い…


人を殴ったり、蹴ったり出来なくて、試合中によく泣いてたし…


今思えば、よくプロレスやってたわと思う。


アストレスとバカにされたし、他の団体の人にはプロレスラーと認められてなかったし、プロレスラーとして認められたくて続けていた節もある。


先輩の大量離脱、元同期の◯◯事件、団体の解散等色んな事がいっぱいあった。


そして、前十字靭帯切って、大好きな先輩の引退試合に出たくて、無理して試合出て、膝が曲がったまま伸びなくなってプロレスを嫌いになった時期もあった。


プロレスさえしなければ、膝が曲がる事は無かったのにって恨んだ時期もあった。


辞めたいと思った事も多々あった。


だけど、試合すると楽しくて、どんな嫌な事があっても、試合でストレス発散出来てプロレスをやる事が好き過ぎる。


今じゃ団体立ち上げて、社長にまでなってプロレス界にどっぷりハマってしまった…


人を殴れなくて泣いてたのに、今じゃ得意技はビッグブーツ


趣味人の顔を蹴る事(笑)


人は変わる。

立場や乗り越える壁の大きさや、谷に落ちても這い上がる根性さえあれば人は乗り越えられる。


私の場合キャラが変わり過ぎたけど…


今が一番辛いって思ってた出来事が、乗り越えて時が経ったらそうでも無かったり。


色々泣いたり、苦しんだり、落ち込んだりしてるけど、それはそれで終わってみたらそんな事もあったね。

って思い出に変わる。



逆境に立ち向かうのが好きなんだと思う。


だから18年間もプロレスを続けられたんだと思う。


辛い事がなければやってない気がする。


プロレスラーとして認められたくて、プロレスをやった証が欲しくて、プロレス界の歴史に残りたくてずっと続けてる。



まだまだプロレス界の歴史に名を残せてないなぁ。


どうしたら残せるのかなぁ。


もうすぐ私の人生の半分がプロレス人生になる。


声優さんになりたかったはずなのになぁ。

声がガラガラになっちゃったなぁ。

もう、太田貴子さんとお仕事する夢が叶ったので、声優さんになりたいとは思わなくなったけど。


若いうちに結婚するはずだったなのになぁ。

昔は2年間のプロレス修行が終わったら辞める→25歳になったら辞める→30歳になったら辞める→35歳になったら辞める。

って決めてたのに、今じゃ辞め時が分からなくなってる…


ビッグブーツが出来なくなったら辞め時かとは思ってる。


昔は40歳までに4人子供を産むって決めてたのに、結婚もせず、この年まで来てしまった…


人生何があるか分からない。


でも、自分の決めた道を歩んでる。


一度きりの人生。


私は私のやりたい事をやる。


決めた道を進む。


後悔のない人生を歩む。


プロレスのプの字も知らなかった私が、プロレスにどっぷりハマった事から私の人生が決まった。


これからも、自分の決めた道を歩んでいく。


長文になりましたが、何が言いたいかと言うと、好きな事をして生きている私は幸せだと言う事。


19年目の桜花由美もよろしくお願いします。