読んだ本
経済成長なき社会発展は可能か? <脱成長>と<ポスト開発>の経済学
セルジュ・ラトゥーシュ
中野佳裕訳
作品社
2010年7月

一言コメント
成長や開発を見直し、社会や人生のあり方を根本から見直す――すでにこのテーマについて読んできた人間としては、今までの話のまとめという感じで、少々面白みに欠けた。もちろん、はじめてこのテーマに接近する人にとてっては、ほどよい入門書になると思う。でもできれば、昨日ピックアップしたようなブックガイドの本を読んだ方がよい。


本書は、もとは2冊の本を1冊にしたものである。

MOSTプログラムの主任秘書 であったアリ・カザンシシジル主宰の政策論文のためにユネスコが立案した企画を通じて生まれ、「経済発展と断絶した時代の構築へ向けた足掛かりを造る」 (23ページ)ために書かれ、もともとは「水平連盟」というもので議論された内容であるという。

「MOSTプログラム」は、「社会変容のマネジメント」(Management of Social Transformations)の略が「MOST」で、文科省のHPによれば、「グローバリゼーション、都市化、人の移動等による社会の変容に関する研究、政策形成との連携を目指して平成6年(1994年)に設立されたプログラム」だそうである。

「水平連盟」は、訳注によると「フランスにおける<ポスト開発>思想の先駆者である経済学者フランソワ・バルタンの同志によるアソシエーション。ラトゥーシュは水平連盟の主宰者の一人である」(23ページ)とのことだが、門外漢には何のことやらさっぱりわからない。
      
具体的にはシンポジウムを開催し、「開発を解体し、世界を再生する」というテーマを議論したようだ。これが2002年。
      
1960年代の「開発の最初の10年」と言われている時代、つまり、イリイチがまさしく「開発」に異議を唱えていた時代から今に至るまで、「ポスト開発」学派は形成されてきたと言う。いつのまに?
      
そういえば、ヴォルフガング・ザックスが編纂したThe Development Dictionary(邦題:「脱「開発」の時代」)という本が1992年に刊行されていたが、ここに名を連ねている人たちが、このメンバーのようだ。
      
この学派の中心思想は、「発展概念を根本から問いただすことをその分析の主眼に置いている」(26ページ)というから、イリイチの頃からその基本はさして大きく変容していないようである。
      
また、経済的発展にとどまらず、「社会開発」「人間開発」「地域開発」などもその亜種として登場。
      
「発展概念は、普遍主義を装うがゆえに概念的な欺瞞であり、甚大な矛盾を孕むがゆえに実践的な欺瞞でもある」(84ページ)とし、自文化中心主義的なこの概念を批判する。
      
なかには「共愉にあふれる〈脱成長〉」という章題があるのみならず、引用から本文にまで、「バナキュラーな社会」など、イリイチの言葉があふれている。これはこれでイリイチに親しんできた者には、少々不気味である。


自分なりにちょっとふりかえってみよう。

世界のさらなる「発展」のためには、経済成長を大前提とし、「途上国」と呼ばれる国々の「開発」が求められる、という考え方に最初に疑義が呈されたのが、1970年代であった。

無限成長を「神話」とみなしたり、「成長」の限界を訴えたり、「脱」産業社会を目指したり、エコロジーという活動になったり、地球環境問題を考えたり、いろいろな言い方、考え方が現れた。

代表的な論者、もしくは理論的な支柱としてよくとりあげられたのは、ポランニー、
サーリンズ、フロム、ベイトソン、ローマクラブ、イリイチ、ゴルツ、エリュール、シューマッハーといった面々であった。

ところで、2011年3月11日以降、しばしば登場する主張の一つに、原発を稼働しないで産業や経済の成長を止めると日本は滅亡してしまう、というものがあった。

原発のみならず、以前から問われていたのは、「開発」や「成長」そのものであるが、このことを知らずして、相変わらず同じようなことを言っているのに、驚いたものだ。

少しは歴史的な蓄積をふまえて、議論が深まっているのでは、と多少は期待していたが、実際は、まったくそうではなかった。

「原発」を「開発」「発展」のシンボルととらえ、それをやめ ることは、「日本をダメにする」「産業が立ち行かなくなる」「原始的な暮らしに戻りたいのか」といった幼稚な批判が、今なおマスコミや個人の書き込みなどにたびたび現れる。

それらを聞くにつれ、この半世紀、何も変わっていなかったのだ、と切なくなる。

ただ同時に、逆もしかりである。

そうした「成長」「開発」の推進派の思考回路の停滞だけが起こっているのではない。

反対の、懐疑派や批判派においても、同様の事態が起こっているのではないかと危惧する。

本書を読んで思ったのは、この危惧が、決してはずれていないのではないか、ということだった。

もちろん、地域通貨やフェアトレード、災害時のボランティア、脱原発デモなど、まったくこうした流れが絶えてきたわけでも、衰退したわけでも、変化がなかったわけでもない。

私はそのなかに、希望を見出している。

しかし、それにしても、今一つ方向性を見失ってきたことも事実である。

むしろ今回、原発事故によって、ようやく「覚醒」した気配があり、惰眠におぼれてしまっていた私たちはもう一度、自分たちの暮らしや世界、社会について、「原発」を通じて見直しをはかりはじめている、という言い方ができると思う。

それにしても、なぜ停滞したのか、考えてみた。

思い当たるのは、やはり、原発をはじめとした「エネルギー論」に対する徹底した追求がなされなかったことである。

私は、イバン・イリイチの思想(ならびにそれを日本で紹介した山本哲士)に大学より親しみ、学校教育、病院医療、自動車交通、エネルギー、家事労働、など、次から次へと自明な日常に疑問符を投げかけるその著作を読むたびに、新鮮な驚きを抱いてきた。

今でも学校における学級崩壊やいじめの問題、医療過誤、過剰投薬や医療費の高騰など、明らかに社会問題としてとらえられ、ある程度議論されている分野もあるが、エネルギー論は、いくつかの大きなハードルがあって、避けられてきたように思われる。

まず、学校、医療、交通と比べて、エネルギーは、「公共性」があまりにも高く、それを「サービス諸制度」でくくることができない、ということ。

水道や電気は、生活においても産業においても、絶対的なインフラであり、それを止めるとか、やめるとか、少なくする、という発想が今までしにくかった。

以前に当ブログで書いたが、もちろんイリイチは「エネルギーと公正」というタイトルがそのものずばりの本で、この問題を扱っている。

扱っているにもかかわらず、この本は、「サービス諸制度」としての「交通機関」の問題、つまり、歩いたり自転車を用いるのではなく、自動車を用いることはどういうことなのかを考えることに比重が置かれてしまい、「インフラ」としての電力に対して、どうとらえるのかに着目しがたくなっていた。

結果として「エネルギーと公正」は、自動車と自転車という二つのテクノロジーを対比させるあまりに、生活全般の「電力」を問いつめることは、やや副次的なテーマとなっていた。しかし今思えば、インフラとしてのエネルギーを思考すること、これこそが、この資源の少ない列島に生きる私たちにとっての産業社会論のもっとも重要な部分であったはずだ。

そういう意味でも本書は、一体この四半世紀の空白をどのように埋め、確かな足取りをもったオルタナティブ論がどう展開されてきたのだろうか、と期待しつつページを繰ってみたが、正直言ってあまり興味がわかなかった。

エネルギー論が中心にない、経済論なのである。必要なのは、室田武のようなエネルギーの経済学でもない。エネルギー安全保障論や国防論といった政治的視点も内包させ、かつ、それをもう一歩、「暮らし」や「生活」と結びつけられるような検証が求められている。ある意味では「地球環境論」としてエネルギーを検討するということかもしれないし、「哲学」としてエネルギーを考えるということなのかもしれない。

肩すかしをくらった感じである。


経済成長なき社会発展は可能か?――〈脱成長〉と〈ポスト開発〉の経済学/セルジュ・ラトゥーシュ
¥2,940
Amazon.co.jp

読んだ本
経済成長なき社会発展は可能か? <脱成長>と<ポスト開発>の経済学
セルジュ・ラトゥーシュ
中野佳裕訳
作品社
2010年7月

一言コメント
内容については明日書きます。今日は文献一覧にある邦訳本を集めたブックガイドの作成だけ。


サミール・アミン
開発危機―自立する思想・自立する世界

ジグムント・バウマン
新しい貧困 労働消費主義ニュープア

ジョセ・ボヴェ
地球は売り物じゃない!―ジャンクフードと闘う農民たち

レスター・ブラウン
エコ・エコノミー

コルネリュウス・カストリアディス
意味を見失った時代―迷宮の岐路〈4〉

ピエール・クラストル
国家に抗する社会―政治人類学研究

ルイ・デュモン
ホモ・ヒエラルキクス―カースト体系とその意味

ポール・デュムシェル&ジャン=ピエール・デュピュイ
物の地獄―ルネ・ジラールと経済の論理

ニコラス・ジョージェスク=レーゲン
エントロピー法則と経済過程

エドワード・ゴールドスミス
エコロジーの道―人間と地球の存続の知恵を求めて

アンドレ・ゴルツ
エコロジスト宣言

労働のメタモルフォーズ 働くことの意味を求めて―経済的理性批判

資本主義・社会主義・エコロジー

イバン・イリイチ
脱学校の社会 (現代社会科学叢書)/東京創元社

ABC―民衆の知性のアルファベット化
オルターナティヴズ―制度変革の提唱
エネルギーと公正
ジェンダー―女と男の世界
シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う


ドネラ・H・メドウズ
成長の限界 人類の選択


限界を超えて―生きるための選択

ジョン=チュアート・ミル
経済学原理〈第1-5〉

ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ
ラダック 懐かしい未来

カール・ポランニー
人間の経済 I 市場社会の虚構性

人間の経済 II 交易・貨幣および市場の出現

ジェレミー・リフキン
大失業時代

ヴォルフガング・ザックス
脱「開発」の時代―現代社会を解読するキイワード辞典/晶文社

エドワード・W・サイード
文化と帝国主義〈1〉

文化と帝国主義〈2〉

マーシャル・サーリンズ
石器時代の経済学 〈新装版〉

E・F・シューマッハー
スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)/講談社

ヴァンダナ・シヴァ
生きる歓び―イデオロギーとしての近代科学批判

食糧テロリズム
ウォーター・ウォーズ―水の私有化、汚染、そして利益をめぐって

ソースティン・ヴェブレン
有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究

*以下は、文献リストにはないが、文中で登場した人物とそのお勧め本。残念ながらエリュールの代表作「技術社会」は入手困難なので、解説本を選んだ。


エーリッヒ・フロム
生きるということ

グレゴリー・ベイトソン

精神と自然―生きた世界の認識論

ジャック・エリュール

技術社会を“超えて”―ジャック・エリュールの社会哲学/松谷 邦英

読んだ本
歴史としての核時代
紀平英作
山川出版社
1998年10月

一言コメント
タイトルはこけおどしというか企画倒れ。戦後わずかな期間における米ソ英の核兵器に関する政治的動向をまとめたもの。ただし、
核兵器が国際管理に至らなかった経緯について、当時の議会とか法案とか、その細かなやりとりを知るには絶好の書である。


本書の構成は、以下のとおり。

0 バートランド・ラッセルの警告
1 核兵器開発化、原子力の平和利用か
2 原子力開発国際管理構想
3 国際管理構想の挫折
4 核競争の開始


本書を読んでみて、現在からみると、やはり強烈な違和感を抱くのは、「核時代」というのが、あくまでも「核兵器」を指し、「原発」など「核の平和的利用」についてはほとんどふれていない点である。
    
もちろん、原爆と原発は、異なる「技術」である。しかし同時に、決して簡単には分離しえない点がある。とりわけ原発で使用されたあとの核燃料からわざわざ プルトニウムを取り出すような処理施設をもっている国というのは、一体何を目的としているのか、疑われるのは当然である。これまでそれを「核燃料サイク ル」というお題目でカモフラージュしてきたわけだが、どう考えてもこれは非効率かつ
非現実的である。これをもって一つの国防力なのだと指摘されるのを反駁できる人はまずいないであろう。

のちにふれるように、原爆の製造において最低限必要な技術は、三点である。

1 ウラン
2 原子炉
3 プルトニウム

つまり、まずウラン鉱からウランを抽出し濃度の高いものを用意する。そしてそれを「核燃料」として連続的に核分裂が起こる装置である原子炉を稼働する。その結果残った使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する。この過程は、平和的も軍事的も関係ない。

  
さらに、核兵器が使用される局面を考えてみても、「軍事的」「平和的」という言葉の使い方は、おかしい。

なぜならば、「核兵器」とは、戦場で使われるよりも、市民の住む「都市」に投下されるものだからである。

「核兵器」がもたらした最大のものは、いまや「戦争」というものが、「兵隊」同士の戦いではなく、「市民」が殺戮、殲滅されることを内包するということである。

広島や長崎において行われたことは、こうした「戦争」の定義の根本的な改変であった。

「市民」と「兵隊」という区別を失い、非戦闘員に攻撃が仕掛けられ、土地、建物、人間、生物、植物、それらを死滅させることが、原爆による攻撃である。

2011年3月に起こった原発事故は、さらに、こうした原爆のもつ破壊力と、原発のもつ破壊力の類似性を確信させることとなった。

昨日のブログでも書いたように、被災し避難している人たちは、ほとんどのものを失ってしまった。

「原発で死んだ人間はいない。だから日本の原発は安全だ」という、ふざけたことおを言う知識人やマスコミが一部でにはいるが、そうした論理は、ここには通用しない。彼らは、命以外すべてを失ったのだ。

わかるだろうか、この出来事のもつ、深刻さを。

無差別に、市民が犠牲になること。

生きていながら、今まで生きていた場所を失い、人間関係を失うということ。

彼らは今や、新たな「居場所」や「人間関係」をつくる意欲を失っている。

何もする気が起こらない。意欲がわかない。当たり前だ。

彼らは原発事故によって、「脱社会化」(by宮台真司)もしくは「動物化」(by東浩紀)を余儀なくされたのだ。

彼らは、怒りや憎しみよりも、悲しみと絶望にうちひしがれている。

行動すること、抗議すること、よりも、行動しないこと、抗議しないことを、選んでいる。

こうした「沈黙」は、むしろ、ないものとしては、ならない。

こうした「声なき声」を、私たちは、一人ひとり、自分の胸に受け止めるべきだ。

残念ながら今のところ、この「脱社会化」「動物化」には、簡単な解決策や打開策はない。

しかし、少なくとも私たちは、彼らの「存在」をいつも気にかけ、何か支えられること、手助けが可能なことを探ることを、やめては、ならない。

こうした、戦時中でもないのに無差別に市民に致命的な被害を与える核エネルギーは、いまだ制御も管理も処理も十分にできない以上、「平和的利用」も「軍事的利用」も関係ない。つまり、原発も原爆も関係ない。

本格的な「核時代」はむしろ、今、はじまったばかりである。

***

想を先に書いてしまったが、以下、本書にしたがって、わずか10年ほどのあいだであるが、核兵器の歴史の襞の一つとして、どうして、国際管理構想が挫折したのか、をたどっておこう。

まず、前史。米国における核兵器開発の流れ。時間軸に沿って並べておく。

1941年7月
英国で、原爆製造の可能性がはじめて報告書にまとめられる。

1941年11月 
米大統領F・ルーズベルトが原爆開発をV・ブッシュに命令する。ただし英国の協力下で原子炉の建設から開始する予定だった。

1941年12月
日本による真珠湾攻撃で、米が第二次世界大戦に参戦。原爆開発が加速化した。

1942年2月
原子炉開発研究施設がシカゴ大内に設置される。

1942年6月
マンハッタン計画の開始。
原爆製造計画が陸軍の管轄下に入る。責任者はL・ごローブス。

1942年12月
シカゴ大内の施設で、E・フェルミらが最初の連続的核分裂反応に成功


*この頃、ソ連は原爆製造の研究開発を開始するが、戦後まで実用には至らなかった。

1943年X月
ニューメキシコ州にロスアラモス研究所の建設。

1943年X月
ウラン235が、テネシー州オークリッジで製造開始される。
*2012年8月2日にこの施設に3人の反核活動家が侵入、貯蔵施設の外壁までたどりついたという。

1943年X月
プルトニウムが、ワシントン州のハンフォード・サイトで製造開始される。

1944年X月
ロスアラモス研究所にウラン235とプルトニウムが搬入される。

1944年12月末
グローブスが極秘報告書内で、原爆開発が最終段階に入る1945年中ごろまでに数発の原爆が完成する旨を記す。

1944年12月末
グローブスの報告を受けたルーズベルトは、原爆開発計画をソ連に情報提供
する意向を示す(?)。←ここの記述は、あいまい。

1945年5月
グローブスを中心に、原爆の開発は戦後も軍が主導し管理を行うという構想を練る。

1945年7月
陸軍省が戦後の原子力開発の継続に向けた基本法案を起草する。これは、大統領が選任する原子力管理委員会が管理運営するというもので、9人の委員のうち4名を軍関係者が占めるとした。

1945年8月6日
広島に原爆投下。翌日以降、マスコミが一斉に報道。

1945年8月9日
長崎に原爆投下。

*1945年8月、ソ連は本格的に原爆開発を開始する。

以上のように、あまり詳細というほどでもなく、「前史」が語られている。


このあと紀平は、マスコミにおける原爆の受け止められ方を、二つのタイプに分類している。

1 積極的評価(戦争の終結、科学技術の勝利)
2 消極的評価(厳しく批判する宗教人、不安と恐怖)

どうやら本書は、消極的、すなわち、米国においても「批判」的な意見があったということを強調したいようである。むしろ興味深いのは、政府や議会における動きにおいても同様の揺れ動きがあったことである。以下、ふたたび、時系列に沿って記してみる。

1945年9月
V・ブッシュが、米国だけが原爆を独占する状況を危惧し、情報交流などを行うなど
ソ連の動向を考慮すべきこと、さらには、原子力開発については国連の管理下に置くべきことを、トルーマンに提言。また、英国首相C・アトリーが訪米し原爆を国連管理に委ねる案を提示。

1945年10月
しかしトルーマンは、
陸軍省案を踏襲した法案を議会に提出する(メイ-ジョンソン法案)委員構成における軍関係者の人数については削除された。ブッシュの提案があったにもかかわらず、この時点では完全に「核研究開発」は、原爆を中心に構想され、軍事機密的扱いで進もうとしていた。なお、英国は原爆開発を推進することを決定するも内外に強くアピールせずに静かに進める。ほか、米政府は海軍の要請を受け核実験の開始を表明。

1945年10月中旬
レオ・シラード、ユウジン・ラビノビッチ、ハロルド・ユーリーら核物理学者たちが、
メイ-ジョンソン法案に反対、抗議行動を起こす。平和運動や世界連邦主義、労働団体など、他団体も賛同。

1945年11月
議会で紛糾、軍が構想した法案を見限り、原始流奥の平和利用を主眼とした案に乗り替える(
マクマホン法案)同時期に、アインシュタインが雑誌で世界政府の必要性を訴える。米英加が原爆管理に関する喫緊性を確認。

1945年12月
外相会議にて米英ソが国連原子力委員会の設置について合意。

つまり、ここには、二つの考えが対立している。

・核を軍事利用を中心に展開する
・核を軍事・平和的利用双方で展開する

これが二つの法案となったわけである。

・メイ-ジョンソン法案 (グローブス派)
・マクマホン法案 (ブッシュ派)

話はこれで終わらない。なんとマクマホン法案も成立しない。

1946年1月
国連第一回総会において、原子力委員会設置が決議される。なお、米ソの対立も激化。これを受け米国内では、国連に提出する原案の作成にとりかかる。これにはグローブスもブッシュもともにかかわる。

1946年2月
カナダの核施設でソ連に情報提供をしていた研究者がスパイ容疑で逮捕される。グローブスは、こうした国際情勢をふまえて、あらためて核の管理について軍を中心とすることを主張する。

1946年3月 
ヴァンデンバーグ修正案。原子力委員会への軍人の介入については盛り込まれない一方で、軍事連絡委員会を設置し軍の介入を認める。また、国連に提出する原案「アチソン‐リリエンソール報告書」がまとめられる。しかし一方では、国連原子力委員会への米国代表にグローブス派のB・バルークが登用される。

1946年4月
英国はソ連を仮想敵国とし世界戦略構想を描き、核の配備を射程に入れる。

1946年5月
バルーク側は、国連へ提出する原案に、各国に履行すべき義務を規定し不履行の場合には制裁があるということ、またウラン採取などについては厳しい査察を行うことを盛り込むことを主張。さらには、ソ連を含め米国以外の国が原爆開発を行うことを禁止する内容であった。

1946年6月
国連による原子力管理を主張しつつ、制裁規定を明記したバルーク案を国連に提出する、しかしソ連A・グロムイコがあらゆる核兵器開発の禁止を提唱する反対提案を行い対立が激化。また、アインシュタインが、戦争のない世界を構想すべく世界政府の必要性を訴える。また、トルーマンは議会に軍の再編の提案を行う。

1946年7月
国連原子力委員会構成国の代表を招き、ビキニ環礁核実験場において実験開始。

1946年8月 
米国内で原子力管理法が成立。最終的にはマクマホン法案の内容は一掃される。

1946年9月
ソ連の原爆開発が進むことを危惧したバルークが国連での採決を全会一致ではなく多数決でも強行しようと考えはじめる。

1946年12月
国連の原子力委員会は12カ国中、ソ連とポーランドが棄権するほかは米国案に賛成を示し採択。また、ソ連では初の核連鎖反応実験に成功。

1947年7月
米国で国家安全保障法が成立。

これまでの戦後の流れをまとめて、著者は言う。

「核兵器の廃棄に向けた国際的機構をつくろうとする努力が、1946年末までに行き詰るなかで、47年には核軍拡競争が決定的に始まっていた。」(73ページ)

今でこそ核兵器は、「冷戦」における「抑止力」としての意味合いが強いが、当時においては決してそれだけではなく、実戦に使用する可能性も極めて高かったことを、紀平は、1947年以降に急増する原爆貯蔵量などを根拠に述べる。


また、その後の米国、ソ連、英国の動向が簡潔に述べられる。

1947年12月
ソ連にでプルトニウム生産工場が完成。
  
1948年
ソ連でプルトニウム生産が開始。
  
1949年8月
ソ連で初の核実験が行われる。


1950年1月
米国が水爆開発を表明。ソ連も追随。ここである意味、完全に米ソの軍事的均衡が形成される。

1952年
英国が最初の核実験に成功。

***

  
1945年11月28日、バートランド・ラッセルは、英国の上院において、核兵器に関する警告を発していたが、これをふまえつつ、著者は、こう言う。

「優れた科学上の進歩であることを認めたとしても、その成果が「進歩」という名だけでは説明できない多くの犠牲をともなったことは、指摘せざるをえない重い事実であった。」(3ページ)

ここから、著者は、米国における原爆の動向について、主に新聞や雑誌の記事などを中心にして、戦後よりたどりはじめる。

しかし、私たちにとっては、すでにマスコミの報道というものは、なんら「客観的」でも「中立的」でもないことを十分すぎるくらいに知っているので、こうした「歴史」の再構成の仕方に対して、さまざまな留保をつけたくもなる。

国内においても、たとえば、現在の原発に対するが発言を、朝日新聞や毎日新聞からピックアップする場合と、読売新聞や産経新聞からピックアップする場合とでは、かなり異なるものになっている。

今まで、なんとなく?と思っていたが、原発事故の報道をみていて、それぞれがそれぞれの立場でしか語っていない、ということに、はっきりと気づいた。
  
報道は、自分たちのもっている「観念」のフィルターに引っかかるものだけを見る。
  
それは、海外のメディアに対しても、同様である。

本書では、最初に、米国の「ニューヨークタイムズ」の報道をもとに、米国内でも、広島への原爆投下にたいする当惑があった証拠として引用している。またその後に英国の「タイムズ」も対比として提示する。


英米もしくはドイツのメディアであれば、正しくて、日本のメディアは駄目、なんてことはない。
  
それぞれがどういったフィルターをもって報道しているのかをはっきりさせたうえで、その報道を私たちが読み解くことが必要である。
  
或る事件は、いつ、どこで、なにが(だれが)、どのように、そして、どうして
起こったのか。それは報道する内容の基本であろうけれども、本当に大事なのは、そのメタレベルで、その報道する主体がどういったフィルターをもっているのかを知ることである。


歴史としての核時代 (世界史リブレット)/紀平 英作
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私たちの思考と行動は、一見適当のようにみえるが、あるいくつかの「原則」に集約することができる。

場合によっては、そのうちの「一つ」だけが、「人間」の「本性」である、と主張するような哲学者もいるが、私が示したいのは、そういうことではない。

「人間とは、~である」という、ただ一つの定義のようなものを、ここでしたいのではない。

しかし、少なくとも、いくつかの「特性」のようなものを抽出することができ、しかも、それらは、相矛盾することもあるが、とにかく、私たちがある問題を抱えているときに、こうした類型化が有効なときもあるのではないだろうか。


私が大学に入って最初に出会った「類型化」は、エーリッヒ・フロムによるものだった。

フロムは、「所有」と「存在」つまり「持つこと」と「あること」という二つの対立する様式を打ち出した。


これはいわば、資本主義と社会主義という政治的選択を、米国向けに、言い換えたもの、という言い方もできるだろう。

当時(今なお?)、米国においてはマルクス主義というのは知識人以外はなかなか寛容ではなく、根深い抵抗感があったと思う。

そのなかで、あえて「右」か「左」か、もしくは、「私有」か「国有」か、ではなく、「所有」を第一義に考える生き方と、「存在」を第一義に考える生き方、あなたならどちらを選ぶのか、とソフトに(戦略的に)語ったのだった。


そしてその後、イバン・イリイチの議論を知る。

イリイチは、フロムとの親交もあり、このフロムの考えを敷衍しつつ、政治的選択というものを考える際、三つの次元があると指摘した。

1 左か右か
2 ソフトかハードか
3 バナキュラーかインダストリアルか

「左」と「右」というのは、従来通りの政治的主張であり、資本主義国家を選ぶか社会主義社会を選ぶか、という選択である。

第二の「ソフト」か「ハード」か、は、科学技術にかかわるものであり、発電で言えば、原子力は「ハード」であり、水車や風車は「ソフト」である。

さて、この二つの選択については、イメージははっきりしているものの、この選択だけでは、あまり現実に即していない。

たとえば、今の民主党、自民党は、「左」とか「右」という振り分けができない。日本共産党でさえも「左」と言い切れない。

また、科学技術も、今の風力発電や太陽光発電などは、「ハード」でもあり「ソフト」でもある。

そこでイリイチは、第三の次元を提起する。それが「インダストリアル」か「バナキュラー」か、という対抗軸である。

インダストリアル」というのは、商品や生産、開発、発展、成長といった言葉に象徴される社会(それらが中心を担っている社会)である。そして「バナキュラー」とは、それらに左右されない、多様で新たな「価値」創造、という説明になる。

別の言い方をしてみよう。

インダストリアル」とは、「右」か「左」か、「ハード」か「ソフト」か、いずれかを選ぼうとする態度であり、
既存の制度やサービス、価値観などに固執する。

他方で、「バナキュラー」は、不定形のもの、すなわち、これから生み出してゆこうとする「意欲」から成り立っており、具体的にこうだ、とは言えないが、たとえば、「原発依存」から離脱しよう、という「意欲」は、「バナキュラー」であり、「インダストリアル」と対立する。


こうしたイリイチの「インダストリアル」と「バナキュラー」から、先ほど述べたフロムの「所有」と「存在」を見直すと、大事なポイントが隠されていることが分かる。

それは、「所有」ということが、単に「私的所有」や個人の資産、私利私欲などを指すばかりでなく、既得権益、過去から受け継いだ伝統、現状での利害、体制、秩序、慣習、習慣、そうしたものに無批判に肯定的である態度を含みこんでいるということである。

他方で「存在」とは、何よりも「私が、ある」ということを思考の出発点としつつ、同時に、「私が、ない」ということをも内包させ、さらには、「私が、ある」ことが「親」をはじめさまざまな条件において成立したことや、「私が、ない」未来においても、「子」や「作品」など何らかの形で「私」を継承することもありうる、ということを視野に入れたものである。

すなわち、「存在」というのは、「私が、ある」ということ以外を思考しようとしない「独我主義」や、逆に、「他者」がいなければ「私」がないということにのみ力点を置く「相互承認主義」の、いずれかに寄りそうものではなく、むしろ、この矛盾する両者の考えを矛盾したまま「共存」(=競存)させるものである


たとえば、原発を推進する人びと、たとえば産経新聞(およびその考えに賛同する知識人、専門家、財界人、政治家など)は、原発を推進することは、「国益」であり、それを否定するのは、「自分勝手」であると、脱原発の立場を非難する。

これは、意図的に、原発をめぐる議論を、「独我主義」か「相互承認主義」かに
対立構図を固定化しようというものであり、あまり好ましいものではない。

彼らは、必ず「国家」共同体の維持と繁栄を前提にものごとを考える。そこには「私利私欲」はなく、「自分たち」とその「先祖」そして「子孫」にとって大事なことをいつも優先して考えようとしている。

そういう物の見方からすると、脱原発を叫ぶ人たちは、無責任で身勝手で現状を何も理解していない「駄目」な人間ということになる。

しかし、知ってのとおり、原発事故や放射能汚染の問題は、第一に、その「国家」の存亡を危うくしているのであり、第二に、ひとつの「国家」だけの問題ではなく、「世界」もしくは「地球環境」全体の問題でもあり、この二つの視点をあえて論じないところに、産経新聞らの議論の脆弱さがある。

私はこのような思考についても、先ほどの「所有=インダストリアル」か「存在=バナキュラー」かといった選択で言えば、「所有=インダストリアル」に含まれるとみなす。

しかも彼らは「脱原発」を、一部の「左翼」の扇動した愚かしい政治的主張だと、今なお言いきっている。

具体的には、産経新聞は、朝日新聞、岩波書店、共産党などを「敵」とみなし、それらと「脱原発」を同一視する。

確かに、彼らが言うとおり、これまで原発政策は、国際社会における日本の安全保障的側面からも重要な意味をもってきたのであり、しっかりとした主権をもった国家として生きてゆくうえでは、「かなめ」になってきたことは、疑いない。

産業が安定的に活動し繁栄するうえで、原発がはたしてきた役割は、過小評価すべきでない。

戦後の日本社会が、原爆によって物理的にも精神的にも大きな打撃を受けたなかで、その威力を平和的に利用しようとする原発を国内で展開することは、決して矛盾ではなく、戦後史において不可避かつ必然的な選択であったことも、否定するべきではない。

もちろん脱原発を叫んでいる人間や組織にも、産経新聞が言うような、ただ「体制」に文句が言いたいだけであったりするような、無責任な人もいるかもしれない。

また、原発をなくすこと以前に重要なのは、事故の収束に向けた努力であり、かつ、現在の危機をいかに乗り越えて、未来への道を切り拓くことができるかであって、感情的になってただ原発に反対だけしているのも、それほど思慮があるようには思えない。

しかし、産経新聞が今守ろうとしていることは、「存在」ではなく「所有」ではないのか。いろいろ言いたいことはあるが、一点だけにとどめるとすれば、こうなる。

彼らが依拠している「国家」の伝統の尊重と未来の繁栄は、はたして、こうした原発事故を前にしても、今までどおり、正当化できるのだろうか。

未来の繁栄を支える母子が不安に苛まれて「存在」しているという事態に対して、「原発は安全だから、気にするな」と言える「所有」的思考回路が、私には理解できない。

また、「国家」の主体として彼らはいつも「日本人」と言い、必ずチャイニーズやコリアンを除外する。

いつまで「民族国家」という幻想に引きずられるのか。

こんな小さな島国であっても、さまざまな民族が共存しようとしている。

単一の民族で共同体を構成しているわけではないのに、なぜ、執拗にこのことにこだわり続けるのか。

むしろ「国家」に固執したいのであれば、そうした少数者や差別されている人、ハンディキャップをもった人などをこそ、大切にするべきではないのか。

どうして自分たちの民族だけにプラスの価値観を結びつけて、他民族のことを悪く言うのか。

なぜ、「異人」を歓待する器量がないのだろうか。

自分たちのことよりも、他者とりわけ異民族や異人をあつくもてなすという営みは、人類に共通の古くからあるものである。これをここでは、「異人歓待主義」と呼んでおこう。

この発祥は、おそらく抗いがたい敵(異人)と遭遇したとき、自分たちの生活を守るための手段として、最大の歓待を提供するということにある、と私は考える。

これこそが「国家」などの共同体の維持のためには、欠かせない契機である。

異民族を差別したり排除し、自民族にのみ福利厚生を制限しようとすることは、逆に言えば、「国家」の衰退過程を意味しているのである。

本当に「国家」の将来を考えるならば、そういった、脱原発や異民族の人たちの気持ちを組み込み、「共生」する努力をしなくては、ならない。

なぜ、「国家」が先だってそうした「個人」たちがないがしろにされるのであろうか。

「個人」あっての「国家」ではないとしたら、「国家」とは、一体何なのか。

そう疑わざるをえない。

もちろん、あえて言っておくが、逆に「個人」だけが先だって「国家」がないがしろにされるのも、同じように愚かしい。

いずれも、愚かしいのだ。


さて、そのうえで、もう一歩議論を進めたい。

こうした「存在=バナキュラー」を目指すというが、或る程度の妥当性をもったとしても、最大の難問が今目の前にある。

いや、それが目撃されたのは、もっと以前である。

宮台真司は、かつて、テレクラにはまる郊外に住む主婦の不倫や女子高生の援助交際を「フィールドワーク」した結果として、「脱社会的」生き方という考えを提示した。

家族(親)も学校(教師、友達)との共生に実感がなく、価値観の共有や共感もなく、「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい」という原則に貫かれたものである。

また、当時、同時に「なぜ人を殺してはいけないのか」とう問いが盛んに議論もされたが、この問いを発するのが中高生くらいの場合、彼らが言いたかったのは、要するに、世の中の規則やルール、社会的慣習や価値観、道徳、倫理、そういったものすべて、まやかしであり、「個人」が生存するうえでは、第二義にしかならない、ということである。

親や世間に逆らう、という「非行」や、物を盗んだり人を殺したりするという法を侵すような「反社会的」行為ではなく、同じ共同体に生きているようで、まるで、そのありようから離脱しているのである。

今もなお、こうした宮台の問題意識が十分に理解されたとは言い難いが、ともわれ少なくとも20世紀後半の日本社会において、深刻なテーマの一つではあった。

この問題は、いつのまにか、「ひきこもり」や「オタク」として語られるようになり、東浩紀がそれをコジェーヴから流用して「動物化」と呼んだことにより、ある種の市民権を得たかのように理解されてきた。


ところがこのたび、こうした「脱社会的」で「動物的」であるかのような、存在様式が、まったく別のところから、登場してきた。

それは、震災と原発事故によって家族と仕事を失い、「ふるさと」を追われ、避難生活をしている人たちである。

もちろん全員がそうだというわけではないが、聞くところによると、彼らは今、「社会」とのつながりを避けているという。

たとえボランティアや行政的な支援でかかわろうとしても、一貫して「ほっといてくれ」と言われるばかり。

生きがいも楽しみもなく、ただ、生きながられているような状態。

彼らと私たちは、いかに「共生」すべきなのか。

ただほっといてもよいものなのか。

そんな彼らに、あれは「国家の繁栄」のために、仕方がなかった、などと言えるのだろうか。

また、原発依存の社会をやめます、とだけ言っても、意味がないのではないだろうか。

彼らは、家族も仕事も生活していた場所もしくはふるさとまでをも奪われた。こうした事態を招いてもなお、日本の原発は安全だったと言うのだろうか。

また、今までの「社会福祉」活動は、基本的に困っている人たちに救いの手を差し伸べるというものであり、「困っている」ことが自明であった。しかし、避難所にいる被災者はどうなのだろう。

ただ「生活保護」費用を提供することしか、できないのか。すべきでないのか。現場の人たちは今この問題で葛藤している。

これは、という回答をもっているわけではないが、「存在=バナキュラー」の多様な幅にはこうした「脱社会的」な人びとも当然かかわっている。

「ほっといてくれ」と言う人との共存。共生。

せめて、いっしょに話をする。いっしょにご飯を食べる。いっしょに酒を飲む。そうした、イリイチの言う「コンビビアル」な関係が実現しえることが、目標にはなるだろうけれども、強制できるものではないので、本当に難しい。

現場でかかわっている方々には、ただ敬意を表したいし、現場でつらい思いをしている方々には、ただ、「ごめんなさい、何かお手伝いできることがあれば…」と口ごもるだけである。

ごめんなさい。

***
追記

フロムは、1980年3月18日、80歳の誕生日の5日前に死去したが、その際、妻と少数の友人がテシンのベリンゾーナの墓地で別れを告げた。友人の一人のイリイチは、慈悲としての正義に関する旧約聖書の章句を朗読した。なお、フロムは「墓」を「もつこと」を拒否したため、墓地にいっても「墓」はない。



生きる希望―イバン・イリイチの遺言/イバン イリイチ
¥3,780
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「脱原発社会」を「危険社会」として理論的に考えるためのブックガイド(2)

後半である。前半は、こちら

▼家族、性、男女

フィリップ・アリエス、ミシェル・フーコーらによるDie Masken desBegehrens und die Metamorphosen der Sinnlichkeit: Zur Geschichte derSexualität im Abendland,1984.やピーター・L・バーガーとブリジッド・バーガーのThe War over the Family: Capturing the Middle Ground,, 1983.もリストアップされている。
  
カール・N・デグラー
アメリカのおんなたち―愛と性と家族の歴史

キャロル・ギリガン
もうひとつの声―男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ

リチャード・セネット
公共性の喪失
リリアン・B・ルービン
夫 妻この親密なる他人


▼ライフスタイル

「現代における死の諸像」で知られる社会学者、ヴェルナー・フックスの"Jugendliche Statuspassage oderindividualisierte Jugendbiogtaphie?"1983.、ニコラウス・ルーマンの"Die Autopoiesisdes Bewusstsen," 1985.などもリストアップされている。

テオドール・アドルノ
ミニマ・モラリア―傷ついた生活裡の省察0);">*

エミール・デュルケーム
社会分業論

  

ノルベルト・エリアス
文明化の過程ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷


ゲオルグ・ジンメル
社会学―社会化の諸形式についての研究

ゲオルグ・ジンメル
貨幣の哲学

▼仕事と労働

クラウス・オッフェのArbeitsgesellschaft: Strukturprobleme und Zukunftsperspektiven, 1984.もリストアップされている。


ハンナ・アレント
人間の条件


▼科学の自己内省化


アドルノ&ホルクハイマー「啓蒙の弁証法」は最初の項目に引き続きここでもリストアップされている(なぜか最初はホルクハイマー&アドルノでクレジットされている)。また、アーノルド・グールドナーの共著Applied Sociology,1965.も含まれている。


レイチェル・カーソン
沈黙の春


バリー・コモナー
科学と人類の生存―生態学者が警告する明日の世界


P.K.ファイヤアーベント
自由人のための知―科学論の解体へ

イバン・イリイチ(他)
専門家時代の幻想

トーマス・クーン
科学革命の構造


イムレ・ラカトシュ、アラン・マスグレーブ(編)
批判と知識の成長


カール・ポッパー
客観的知識―進化論的アプローチ

カール・ポッパー
科学的発見の論理


▼危険社会における政治

ハンス・ヨナスのTechnik, Ethik und Biogenertische Kunst,1984.やクラウス・オッフェのStrukturprobleme des kapitalischenStaates, 1972.、アラン・トゥレーヌのThe Self-Production ofSociety, 1977.も含まれている。


ハンナ・アレント
暴力について―共和国の危機



ユルゲン・ハーバーマス
晩期資本主義における正統化の諸問題

ユルゲン・ハーバーマス
コミュニケイション的行為の理論
アルバート・O・ハーシュマン
失望と参画の現象学―私的利益と公的行為

ロナルド・イングルハート
静かなる革命―政治意識と行動様式の変化

ニコラウス・ルーマン
福祉国家における政治理論

ラルフ・ダーレンドルフ
新しい自由主義―ライフ・チャンス

***

最後に、著者自身について、少しデータを書きだしておこう。


▼ウルリヒ・ベックの主著
  

Objektivität und Normativität, 1974.
  

Risikogesellschaft: Auf dem Weg in eine andere Moderne,1986. 危険社会、二期出版、1988年、法政大学出版局、1998年英語版は、Risk Society: Towards a New Modernity, 1992.

Gegengifte: Die organisierte Unverantwortlichkeit,1988. 英語版は、Ecological Politics in an Age of Risk,1995.


Politik in der Risikogesellschaft. Essays und Analysen, 1991. 英語版は、Ecological Enlightenment, 1995.


Die Erfindung des Politischen. Zu einer Theorie reflexiver Modernisierung, 1993. 英語版は、The Reinvention of Politics, 1997.


Was ist Globalisierung? Irrtümer des Globalismus - Antworten aufGlobalisierung, 1997. グローバル化の社会学――グローバリズムの誤謬・グローバル化への応答、国文社、2005年。英語版は、What Is Globalization?, 1999.


Schöne neue Arbeitswelt. Vision: Weltbürgergesellschaft, 1999. 英語版は、Brave New World of Work, 2000.
  

World Risk Society, 1999. 世界リスク社会論――テロ、戦争、自然破壊、平凡社、2003年(ちくま学芸文庫、2010年) 

Macht und Gegenmacht im globalen Zeitalter. Neue weltpolitischeÖkonomie, 2002. ナショナリズムの超克――グローバル時代の世界政治経済学、NTT出版、2008年。英語版は、Power in the Global Age:A New Global Economy,2005.

Der kosmopolitische Blick oder: Krieg ist Frieden,2004. 英語版は、Cosmopolitan Vision, 2006.


Was zur Wahl steht, 2005. 


Weltrisikogesellschaft. Auf der Suche nach der verlorenen Sicherheit,2007. 英語版は、World at Risk., 2009.


Der eigene Gott. Von der Friedensfähigkeit und dem Gewaltpotential derReligionen, Verlag der Weltreligionen, 2008. 〈私〉だけの神――平和と暴力のはざまにある宗教、岩波書店、2011年。英語版は、A God of One’s Own, 2010.

Die Neuvermessung der Ungleichheit unter den Menschen: SoziologischeAufklärung im 21. Jahrhundert, 2008.


Nachrichten aus der Weltinnenpolitik, 2010. 英語版は、Twenty Observations on a World in Turmoil, 2012.


▼共著
Soziologie der Arbeit undder Berufe: Grundlagen, Problemfelder,Forschungsergebnisse, 1980. (Michael BraterとHansjürgenDaheimとの共著)


Das ganz normale Chaos der Liebe,  1990.(ElisabethBeck-Gernsheimとの共著) 英語版は、The Normal Chaos of Love,1995.


Eigene Leben - Ausfluge in die unbekannte Gesellschaft in der wirleben, 1995. (Wilhelm Vossenkuhl、Ulf ErdmannZieglerとの共著、T.Rautertによる写真)


ReflexiveModernization.Politics, Tradition and Aesthetics in the Modern SocialOrder,1994.(Anthony Giddens、Scott Lashとの共著) 再帰的近代化――近現代における政治、伝統、美的原理、松尾・木幡・叶堂訳、而立書房、1997年。*翻訳は英語版からのものであり、ベックの論考はドイツ語版と異なる。ドイツ語版は、ReflexiveModernisierung. Eine Kontroverse, 1996.

  

Individualization: Institutionalized Individualism and its Social and PoliticalConsequences., 2002.(Elisabeth Beck-Gernsheimとの共著)  英語版は、 Individualization: Institutionalized Individualism and its Social and Political Consequences, 2002.


Conversations with Ulrich Beck., 2003.(Johannes Willmsとの共著)

Das kosmopolitische Europa. Gesellschaft und Politik in der ZweitenModerne, 2004.  (Edgar Grandeとの共著) 英語版は、Cosmopolitan Europe, 2007.


Fernliebe. Lebensformen im globalen Zeitalter,  2011.(Elisabeth Beck-Gernsheimとの共著) 英語版は近刊予定、Distant Love, 2013.

▼編著

Riskante Freiheiten - Gesellschaftliche Individualisierungsprozesse in derModerne, 1994. (ElisabethBeck-Gernsheimとの共編)


Kinder der Freiheit, 1997.


リスク化する日本社会――ウルリッヒ・ベックとの対話、鈴木宗徳・伊藤美登里と共同編集、岩波書店、2011年


 *ベック自身による著作リストは、こちら


大田洋子の「屍の街」を、各節の時間軸が分かるところだけを抜き書きしてみた。

基本は、8月6日からその後10月くらいまでの記憶を書き記している。

前半は回想にあたって少し前の様子も描かれている。

例外は、「序」で、これは、
1950年5月6日の日付で書き加えられたものである。

大まかな構成(章だて)は、以下のとおり。

鬼哭啾々の秋 (9月)
無慾顔貌 (7月~9月)
運命の街・広島 (8月6日)
街は死体の襤褸莚 (8月7~8日)
憩いの車 (8月8日~9月)
風と雨 (9月)
晩秋の琴 (9月以降


なお、文末には、
1945年11月と記載されている。


鬼哭啾々の秋
 1 「よく晴れて澄みとおた秋の真昼」(16ページ)
  「9月も終わろうとする今もなお」(18ページ)
 2 「その日から1ヶ月たった9月6日」(18ページ)
 3 「9月も終わりに近いある雨の日」(20ページ)
 4 「最初に来てから20日も経ったころの朝」「(24ページ)
無慾顔貌
 5 「広島市街に原子爆弾の空爆があったとき」(27ページ)
 6 「7月から8月はじめにかけて」(27ページ)
   「7月の半ばから終わりにかけて」(29ページ)
 7 「8月25日にまとめた統計で」(31ページ)
   「9月15日の新聞で報告している」(31ページ)
   「9月20日をすぎてから」(31ページ)
 8 
 9 「爆撃があってから4週間になる今日の状態から」(33ページ)
  「一昨日(9月2日)またその付近から」(34ページ)
  「8月29日長崎市に入った」(35ページ)
運命の街・広島
 10 「8月6日の空襲の前、町々の家は」(39ページ)
 11 「東京から正月に帰って来た私は、3月をまってから誰かをつれて、東京の家を閉まるするつもりでいた」(40ページ)
   「東京では、最初の空襲、10月30日の雨の夜」(40ページ)
   「私は東京の昼夜の爆撃と食料の足りなさに疲れはて、故郷の広島へかえって来た」(40ページ)
   「3月が来ても、4月になっても、東京へ出かけることはむつかしくなった」(40ページ)
   「5月になると私は急性の病気で、赤十字病院へ入院した。病院に7月26日までいた」(40ページ)
   「私は8月6日の朝よく眠っていた」(40ページ)
 12 「青い閃光を浴びてから墓地でまごまごし、河原へ来た間の時間は、40分くらいのものだった」(45ページ)=8月6日
 13 =8月6日
 14 「とうとう夕方になっても」(50ページ)=8月6日
 15 「夜が来た」」(50ページ)=8月6日
街は死体の襤褸莚
 16 「朝は陰惨であった」(54ページ) =8月7日
   「昼まえあたり」(58ページ) =8月7日
 17 「夕方までには」(62ページ) =8月7日
   「夜は暗かった」(64ページ)=8月7日
 18 
 19 「6日から3日目になったkら」(70ページ) =8月8日
 20 「西陽のつよくさしてくる方向」(76ページ)=8月8日 
憩いの車
 21 「かっと光る真夏の太陽に照らしだされた」(79ページ)=8月8日
   「4時という汽車が6時に来たけれども」(79ページ)=8月8日
 22 「廿日市の街は灯をすっかり消し闇になっていた」(80ページ)8月8日
    「罹災後、3日目に飲むお茶」(82ページ) =8月8日
    「明くる日も」(82ページ) =8月9日
 23 「3時をすぎた」(85ページ) =8月9日
 24 「仮りの宿へ着いた明くる日」(87ページ) =8月10日
   「二度目の原子爆弾は9日の午前11時に長崎市を襲った」(88ページ)
   「13日の黄昏ちかくには、B29の大編隊が夕日の中に白々と透き通って」(88ページ)
   「15日、重大放送があるというのを妹はひどく気にして」(88ページ)
   「あなた日本は降伏いたしましたそうですよ。子供が2時の録音できいてまいりました」(89ページ) 
 25 「8月20日、母と妹は暁の4時に起きて乗合自動車の切符を買い、この村を去った」(92ページ)
   「その日の夕方、私は今住んでいる家に移った」(93ページ)
 26 「20日をすぎて間もなく、広島から来ていた戦災者たちが、・・・次々に死にはじめた」(93ページ)
   「9月中旬の新聞で」(97ページ)
   「9月17日以後の新聞を今日まで、一枚も読んでいないから」(97ページ)
風と雨
 27 「東大の研究班が9月2日にもなってから広島へ初めて来た」(100ページ)
   「8月末から・・・淫雨のように降り出した雨は・・・10日も2週間も同じ調子で振ってばかりいた」(101ページ)
   「アメリカ人記者団は9月3日いちはやく広島へ来た」(103ページ)
 28 「9月8日の朝、連合国側の専門家視察団が」(104ページ)
   「村に来て40日も経ってから」(107ページ)
   「9月は半ばまで梅雨のように降り通してすぎ、16日は終日豪雨で暮れ、17日もその豪雨は一刻も止まないで、夜になると台風になった。」(108ページ)
 29 「(9月)17日以降も雨はさかんに降った。10月に入るとまた早々に豪雨は大地をゆすぶりかえし」(109ページ)
   「電灯もつかないし新聞も来なかった。9月17日からそのままになっていた」(110ページ)
晩秋の琴
 30 1945年9月上旬の中国新聞の社説
    「小金色に変る晩秋の今日まで」(114ページ)
    「小さな田園に漸く晩秋が訪れた・・・晩秋特有な群青・・・熟れ切った黄金の稲田」(115ページ)
    「9月末まで生きるかどうかと云っていたのに、いまも生きている」(116ページ)
    「死の影を三ヶ月間垣間見ているうちに」(116ページ) 



屍の街 (平和文庫)/大田 洋子
¥1,050
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*アマゾンのリンクに画像を貼ると、以下のように、めちゃくちゃにレイアウトが崩れてしまう。HTML編集も面倒なので、とりあえず、はてなブログにリンクを貼った。

お手数ですが、こちらをご覧ください。



*****


ウルリヒ・ベックの「危険社会」の巻末に、欧文の参考文献のほかに、「主な邦語訳文献」が付されている。

便利なのであるが、よくオリジナルの参考文献と対比させてみると、かなり抜けていることがわかった。

もちろんいくつかは、本邦訳書の刊行後に出たものもあるが、そうではないもの、たとえばマルクスの著作をなぜ入れなかったのか、不思議である。

ほかにも、ギュンター・アンダースやイリイチ、アリエス、ブルデューなども抜けていた。

そこで、以下、気づいたものを付け加えてブックガイドとした。

思った以上に時間がかかってしまったが、こうしてみると、英米独仏を中心に、社会理論として重要な文献が選ばれていることが分かる。

「脱原発社会」を考えて行くこと、そして、「原発社会」を考えて行くこと、それは同時に「危険社会」を考えて行くことと同義である。

今や数多の関連書が世に出ているので、まず何を読むべきか迷った場合に役に立つと思われる。

注1:邦訳に付されていないものには*をつけた。

注2:分量の都合で後半は明日アップをすることにした(別ページに分割)。見にくくなってしまうがご容赦ください。

「脱原発社会」を「危険社会」として理論的に考えるためのブックガイド


▼概観


邦訳がないが、アミタイ・エッツイーオニのAn Immodest Agenda, 1983.、アーノルド・ゲーレン
Studien zur Anthropologie und Soziologie, 1963.、アラン・トゥレーヌの論考"Soziale Bewegungen," 1983.もリストアップされている。

ギュンター・アンダース

時代おくれの人間 第二次産業革命時代における人間の魂
ダニエル・ベル
資本主義の文化的矛盾

バーガー、バーガー、ケルナー
故郷喪失者たち―近代化と日常意識

ラルフ・ダーレンドルフ
新しい自由主義―ライフ・チャンス

ユルゲン・ハーバーマス
近代の哲学的ディスクルス

ユルゲン・ハーバーマス
新たなる不透明性


  • ホルクハイマー&アドルノ
  • 啓蒙の弁証法―哲学的断想
                           

  • ハンス ヨナス
  • 責任という原理―科学技術文明のための倫理学の試み
        

  • アービン・トフラー
    第三の波


  • ▼危険社会の素描

  • 邦訳はないが、ギュンター・アンダースのDie atomare Bedrohung, 1983.、アラン・コルバンのPesthauch und Blütenduft, 1984、メアリー・ダグラス(共著)のRisk and Culture, 1982.もリストアップされている。

  • セルジュ・モスコヴィッシ
  • 自然の人間的歴史

  • アラン・トゥレーヌ(他)
  • 反原子力運動の社会学―未来を予言する人々


  • ▼階級と階層

  • アンドレ・ゴルツのAbsicht vom Proletariat, 1980.、アーノルド・グールドナーのDie Intelligenz als neuer Klasse, 1980.、アレックス・ホーネットの"Moralbewusstsein und soziale Klassenherrshcaft," 1981.なども含まれている。

  • アヴェルナー・アーベルハウザー
  • 現代ドイツ経済論―1945‐80年代にいたる経済史的構造分析

  • ベンディックス、リプセット
  • 産業社会の構造―社会的移動の比較分析

  • ピエール・ブルデュー
  • ディスタンクシオン -社会的判断力批判

  • ブルデュー&パスロン
  • 再生産

  • 産業社会における階級および階級闘争

     
    アンソニー・ギデンズ
    先進社会の階級構造

  • カール・マルクス
    経済学・哲学草稿

      
    カール・マルクス
    ルイ・ボナパルトのブリュメール18日

  • エドワード・P. トムスン
     
    イングランド労働者階級の形成



    マックス・ウェーバー

    支配の社会学 (経済と社会)


  • ▼続きは、また明日
  • 読んだ本
    危険社会――新しい近代への道
    ウルリヒ・ベック
    東廉、伊藤美登里訳
    法政大学出版局
    1998年

    ひとこと感想
    この1年間「災害ユートピア」と並んで注目を集めた社会理論系の書物。大方評価が定まっているようだが、まだまだ検討すべき内容がある。まずもう一つの「近代」としての「リスク」生産社会、第二に科学批判としての「自己内省化」、この二つのテーマについて、2日にわたってコメントしたい。今日は二つめの、科学批判としての「自己内省化」について、ブルデュー社会学と対比させてみる。

    Urlich Beck, Risikogesellschaft, Auf dem Weg in eine andere Moderne, 1986.


    私は、1980年代、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの社会理論に親しんでいた。ブルデューは、思想的には、サルトルを代表とする実存主義と、レヴィ=ストロースを代表とする構造主義をそれぞれ、主観主義と客観主義とみなしたうえで、その両者を「統合」したプラチック(Pratique)理論を提起したことで知られる。

    哲学と文化人類学、社会学、メディア論、文学など多岐に分化した人文社会科学を横断的かつ大局的にとらえた点において、そして、
    アンケートや統計データを使用しつつも単なる数量分析では終わらない大胆な理論的提示、すなわち人にはそれぞれ経済資本だけではなく、社会関係資本(人脈)と文化資本というものがあるということを示した点において、ブルデューは、間違いなく当時の社会理論、文化理論の中心人物であった。

    また、プラチック理論は同時に、研究者(観察・認識主体)と研究対象との関係性を問う「Reflective Sociology」を内包していた。この「レフレクティブ」というのが、当時は、単純に、客観化する主体の客観化、すなわち、観察主体がどのように観察対象とかかわっているのかを、倫理的に反省することに着目したものだと考えていたのだが、もう一つ、重要な指摘があったことを思い出した。

    それは、研究調査の「倫理」だけではなく、「方法論」にかかわる問いかけでもあったのである。

    話は少しずれるが、先日、ドキュメンタリー映画監督の亀井文夫のことをブログで書いたが、彼のことをネットで調べていたら、当時の映画作品のなかで、カメラマンが登場人物を撮影しようとするときに、監督自らがその映像に入ることをカメラマンが嫌ったのに対して、亀井は、「かまわないから撮れ」といったという逸話があった。実際カメラマンは撮らずに終わってしまったのだが、こうしたことは「演出」として言えば、裏方が黒子の衣装も着ずに役者のように舞台に登場するようなものであり、基本的には禁じ手になっている。しかしこの監督が、自らの作品の「演出」として意図的にそこに登場する場合、それは、一つの手法となる。

    「そのことを端的に示しているのは、『戦う兵隊』の中国でのロケーション撮影中に生じた亀井監督と三木茂カメラマンとの間の意見対立である。とある中国の少年を見かけた亀井は、彼の脅えた顔のクロースアップを撮影したく思い、少年を後ろから羽交い締めにし、三木茂に少年の泣き顔は撮るように指示した。しかし、そこで三木は「亀井君、手が入るよ」と言い、カメラを回さなかったのである(安井『亀井文夫特集』11)。三木茂や日本映画界の過半数を占める人々にとって、撮影対象となる世界と撮影スタッフが生きている世界とは、両立し得ない異なる次元に位置するものであり、監督の身体(あるいはその一部)がカメラに映ることは、2つの次元が共存不可能であるという前提を覆すような映画製作上のルール違反だったのである。
     アメリカの学者ビル・ニコルスは、映画製作者が自らスクリーン上に現れたり、他の登場人物と交流したり、映画製作のプロセスを作中で公開したりするようなドキュメンタリーの手法を、「対話方式の」(interactive mode)あるいは「内政(「省」の誤りか?)的な」(reflective mode)様式に基づいたドキュメンタリーとして定義づけ、そのような作品の典型として、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929)や、エドガール・モランとジャン・ルーシュの『ある夏の記録』(1960)、ロス・マケルウィーのSherman's March(1986)などを挙げている。」
    フィオードロワ・アナスタシア「リアリズムとアヴァンギャルドの狭間で――亀井文夫監督の被爆者ドキュメンタリー『生きていてよかった』」より)

    故意にカメラに入った制作側の身体は、失敗であるが、意図的な作品への「介入」は、「内省」(reflective)的もしくは「対話」(
    interactive)的だというのである。

    ブルデューの「リフレクティブ社会学」もまた、これと似たところがある。

    その一つはブルデューがアルジェリアのカビル族の調査を行ったときの経験に基づいている。彼がいつも念頭にあったのはレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』である。レヴィ=ストロースもまた、確かに研究対象との距離を決して隔離したものとして扱っていない。むしろ自ら入りこみ、「異人」としてできうるかぎりのこと、即ち、その共同体にとって禁じられることを行ってまでも、その地の文化事象を聞き出そうとしていた。

    ブルデューはこうしたレヴィ=ストロースのやり方を一方では批判していたのだが、同時に、それでもなお、むしろブルデューの方が研究対象の内部に深く入りこみ、かつ、自らが参入していている研究結果を公表している。

    その違いは、「客観化する主体の客観化」という手法において顕著である。

    レヴィ=ストロースは巧みに、主観的印象をまとめた「手記」である「悲しき熱帯」と、客観的分析を提示する「思想書」である「野生の思考」をそれぞれに分けて発表した。逆にブルデューが問題視したのは、こうした分割の仕方である。構造主義は、その方法においては何も「主観」を語らないようなそぶりをみせるが、実は、客観主義の裏付けをもちつつ、別なところで「主観」を存分に語っているのである。言ってみれば、ブルデューは、構造主義の批判をしただけではなく、構造主義に潜む主観主義を晒し出したのである。

    ブルデューの姿勢を、今ここでは、「レフレクティブ社会学」と呼んでおくが、この「リフレクシビティ」というのが、当時、今一つ私が理解しきれておらず、「自省性」と訳してしまっていた。もちろん、そうした自己反省的な意味あいが中心であるので、まったく間違いではなかったとは思うのだが、これではどうも、ブルデューが調査を行った結果を理論化してゆく際の「ダイナミズム」を伝えきれていなかったように思う。

    つまり、リフレクションにおいては、二つの作用が存在している。

    1 自己省察的
    2 間主観的

    単純に、観察する主体が対象を考察する際の自らの立ち位置を反省するというだけではなく、対象と観察主体の相互で働いた関係性、とりわけ観察主体から対象に向けられた「まなざし」を誤魔化すことなくその作品や理論に提示すること、内包させること、加味させること、それが「リフレクション」のダイナミズムであろう。


    さて、前置きが長くなったが、何が言いたいのかというと、昨日ブログに書いた「危険社会」の著者であるベックが「近代」というものを「自己内省化」という概念で説明していたので、とても気になったのだった。

    ベックの場合、「自己内省化」とは、「単純な科学化」の次の段階として説明される。

    封建社会からの近代化とは異なる意味での近代化が今進行しているとベックは考え、それを「産業社会における近代化」と呼ぶのだが、ここでは、第一段階では「単純な科学化」が、第二段階では「自己反省的な科学化」が進行する、という説明になる。

    「単純な科学化」とは、いわゆる一般的な科学の影響のことで、自然と人間と社会に対して科学が応用されることである。

    それに対して「自己内省」の場合、「科学は自らの生み出した物そのもの、自らの欠陥そして科学が生み出す結果として発生する諸問題と対決しなければならない」(317-318ページ)のである。

    ブルデューの言葉を使えば、科学は、自らを観察主体において対象を考察することはあっても(=「単純な科学化」)、自らが研究対象になることがなく、対象と主体とが切り離されていることを前提としている。

    ハイゼンベルクの不確定性原理など、もちろん例外はあるが、観察主体が対象に影響を与えるということを認めたがらない。

    映画の例で言えば、研究者の姿が画面に映っているにもかかわらず、頑なに、「映っていない」こととして扱おうとする。

    もしくは、作品が終わって、フィルムがカラカラとまわりはじめる音がしたあとに、それを制作した監督の姿にスポットがあたり、私たちがそれをずっと見ている、というイメージでもある。

    これはつまり、私が、2011年以降ついに日本は本格的な「原発社会」に突入した、と主張するのと同じ問題意識を別の言い方で述べたものである。原発はそれを稼働させ維持しているあいだだけのテクノロジーなのではなく、廃炉や廃棄物の処理、汚染の除去などを含んではじめてその全体性が描かれるものである。

    原発が稼働しなくなってからが、本当の意味での、原発の時代の幕開けである。

    旧来の科学者にとっては、こうした考えはなかなか受け入れがたいに違いない。アインシュタインの相対性理論が登場してはじめて、ニュートンの力学の意味が分かるようなものである。

    これまでの科学とは、自分の専門分野がまずあり、そのなかで理論的にも実証的にも倫理的にも誤りがなければ、それで済んだのだ。

    ベックの言う「危険社会」ではそうはいかない。

    私たちは、原発というテクノロジーの産物をそのまま「自然にかえす」ことができない(これは別に「純粋な」自然に戻すという意味ではない。また「野生」にかえすという意味でもない)。

    ましてや、放置することも、忘却することも、許されない。

    万全を期して、これから、その管理を行う必要がある。

    脱原発、廃炉、原発依存のない社会、こうした方向に進むとしても、原発関連の事業を内包することが必須なのだ。

    こうした姿が「自己内省的」である。

    ベックはこの「自己内省的」という言葉を、「近代化が近代化自身とかかわる」(10ページ)ということとして使用している。

    「科学は、応用の段階に至った現在、科学自体が客体化された過去と現在に直面しなければならない。」(319ページ)

    こうした言い方は、カンギレムやフーコーといったフランスの科学史、認識論的分析を行った仕事と対比することもできるだろう。

    彼らは、科学が単に「真理」を追求し、その蓄積が現在であり、その歴史は進歩の過程であり、少なくとも「現在」が過去と比べてもっともすぐれた地点にあるというヘーゲル的な歴史観を抱いてきたことを批判し、「誤謬」や「錯誤」「非理性」の歴史的な扱われ方に焦点をあて、必ずしも「真理」「正常」「理性」だけが「科学」の進んできた道のりではなかったことを明らかにしているが、ベックがここで言う「自己内省化」とは、ほぼカンギレムやフーコーの考える「科学」に対する考え方と相関しているだろう。

    以前にブログで書いたが、畑村洋太郎が提唱した「失敗学」こそ、こうした「科学の自己内省化」の典型例であると言える。

    また、加藤尚武が言うように、原発防災に地震学の成果が的確に反映されることでもあるだろう。

    もっと遡れば、公害学や環境学もそうした性格を備えていたであろう。

    「生命倫理」という学問のあり方も、医療や生物学などに対する自己省察を求める動きであったであろう。

    さて、こうしたベックの言う「自己内省」は、どこまでブルデューのような理論的吟味が行われているであろうか。

    すでにお気づきかとは思うが、ブルデューとベックを対比させると、ベックもブルデューと問題意識がかなり近い一方で、この語を用いる際の文脈は大きく異なる。

    ベックは(ギデンズとともに)、あくまでも「科学者」という主体をたて、その自己反省を議論するか、もしくはその生産物である「研究」が最初から誤謬を内包していることを前提としたうえでその誤謬に対応することが求められる、という見地を展開する。

    ブルデューは、「誤謬」や「失敗」さらには「防災」や「自己」を想定するような研究対象ではないため、そういったふみこみはない。むしろ、たとえば、芸術に対する嗜好というものが、まったく純粋ではなく、自らが有している文化資本に大きく依存している、と考える場合、「好み」や「趣味」といった、きわめてプライベートなものと言われているものでさえ、社会的、文化的な背景をもっている、と言うように用いられている。

    とは言え、前述したように、ブルデューの言う「客観化する主体」である「科学者」の客観化は、ベックの「自己内省的」と同じ意味があることがわかる。

    なおベックの他の著Reflexive Modernisierung(1996)は、「再帰的」近代化と訳されている。「再帰」という言葉は今一つそぐわない気もするが、興味深い解釈である。

    まだ、書き足りないので、明日にもう少し続きを展開したい。

    (つづく)

    危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)/法政大学出版局
    ¥5,250
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    読んだ本
    危険社会――新しい近代への道
    ウルリヒ・ベック
    東廉、伊藤美登里訳
    法政大学出版局
    1998年

    ひとこと感想
    この1年間「災害ユートピア」と並んで注目を集めた社会理論系の書物。大方評価が定まっているようだが、まだまだ検討すべき内容がある。まず、もう一つの「近代」としての「リスク」生産社会、第二に、科学批判としての「自己内省化」、この二つのテーマについて、2日にわたってコメントしたい。今日は「リスク」生産社会について。

    Urlich Beck, Risikogesellschaft, Auf dem Weg in eine andere Moderne, 1986.


    本書は、1986年、ちょうどチェルノブイリ事故のあと、ドイツで刊行された。彼の著作は他を読んだことがないので、この本からのみで以下、判断して書く。

    「はじめに」に書かれているように、放射能汚染というものが、これまでの破局的出来事と根本から異なるとベックはみなしている。特徴としては、

    ・他者というカテゴリーが使えなくなった

    ・完全に安全な場所というものがなくなった

    ということにまとめられるだろう。正直、こうしたとらえ方はすでに当ブログに書いたように、ボードリヤールが1981年に刊行した「シミュラークルとシミュレーション」で的確にとらえていたこととさして変わりはない。

    原発事故とシミュラークル(オリジナルなき複製文化)

    しかし、ベックの議論で重要なのは、そのあとであろう。「近代」(モデルネ)が富の生産、循環、拡大を基本としていたのに対して、私たちが生きるもう一つの「近代」=「現代」(アイネ・アンデレ・モデルネ)は、リスクを生産し、くまなく拡散させることを基本としていると、ベックは述べている。

    それは、「危険を分配する社会」である。

    そしてこの「危険」のもっとも典型なものが「放射能」である。

    「ここで危険として捉えているものはまずなによりも、直接は人間が知覚できない放射能である。そして空気、水、食品中の有害物質と、それが及ぶ植物、動物、人間に対する短期的、長期的影響をも指している。この危険は、システム上不可避であり、多くの場合不可逆的な被害を引き起こす。また、その危険は本質的には目に見えないが、因果律に派のっとっている。そして、最初は危険をめぐる(科学的もしくは反科学的)知識の中に、またその中だけにあらわれる。危険は知識の中で加工され、極小化あるいは極大化されたり、誇張あるいは過小評価されたりすることがある。そして、その限りにおいては、社会が自由に定義づけることができる。このため危険を定義する手段と定義づける権限をもつ地位は、社会的にも政治的にも重要になる」(28-29ページ)

    長くなったが、これがダイジェスト的によくまとまっているので、引用した。

    他の特徴については、以下、列挙しておく。

    ・危険の分配は、富の分配と同様に不平等であるが、大きな違いは利益享受者もいずれ被害者となりうるという点である

    ・危険が生産されると、言語や国家、防御壁など、最初から人間のつくった障壁が無意味になる。

    ・危険は、限りなく自己増殖するので、ビッグビジネスになる。

    ・富は所有するものであるが、危険は「知識」が重要である。


    なお、最後の「知識」の重要性については、こうも言っている。

     「危険を危険として「視覚化」し認識するためには、理論、実験、測定器具などの科学的な「知覚器官」が必要である。」(35-36ページ)

    感覚的に「怖い」ということだけでは、何も解決しない。大事なのは、事態の正しい認識把握)である。

    また逆に、科学者や科学的理論が「正しい」かどうかというと、非常に分かりにくくなっている。放射線量に対する「許容量」などはその好例で、科学者のあいだでも見解が分かれることもあるし、むしろ政治的に意見が分かれるということを前提にそれを読み込む必要が発生している。

    「原子炉の安全に関する研究は、事故を想定してはいるが、その研究対象を、数量化し表現することが可能なある特定の危険を推定することだけに限定している。そしてそこでは、推定された危険の規模は研究を開始した時点から既に技術的な処理能力に制約されてしまっている。これに対し、住民の大半や原発反対者が問題にするのは、大災害をもたらすかもしれない核エネルギーの潜在能力そのものである。」(40ページ)

    この相互のずれをベックは、「科学的な合理性」と「社会的な合理性」との対立と呼んでいる。

    だが現実的には、いずれの側に立つにせよ、相互補完的になる必要があるとも述べている。つまり、社会的な合理性を主張するにせよ、科学的な裏付けが必要であり、逆もまたしかりなのである。

    かつて筒井康隆の作品で、桜の樹が法廷に立つという小説があったが、これはまさしく、人間の合理性をこえた議論に向かう「余地」を表現している。ここでは「桜の樹」が日本語を用いて「人間」に訴えるのだが、その言葉は、どこか壊れている。彼らの訴えようとすることは言語の壁でなかなか伝わらない。極端に言えば、ああいう状況に私たちはいると思えばよい。だがもう一歩ふみこめば、ディープエコロジーや菜食主義の側から言えば、他の動物の生存権などを考えてゆかねばならない。生存に必要な条件や環境をただ人間においてのみとらえるにせよ、大変難儀なのに、他の動物、さらには植物も含めた「生命」の圏域をAtomosphereすなわち、アトムの球体域、と呼ぶのなら、途方もない数多くの訴訟が人間に待っているはずである。たとえそういったことに人間の都合で目をつぶるとしても、今問われていることはこうした問題の延長線上にあるということは、決して忘れてはなならない。これを誰が「非合理的」だと一蹴できようか。それはかつて黒人を奴隷扱いしていた白人に、あなたと黒人は同じ「人類」だから同じ権利があるのですよ、と訴えても、「何をばかなことを言うのだ。あいつらはあれでいいんだ。白人と権利が一緒のはずがない」と述べているようなものだと考えるべきである。

    また、階級に関しては、基本構図は、まったく逆のものとなる。これまでの富の分配を中心とした近代社会は上位に集中していた。つまり、持てば持つほど「豊か」だったのである。

    しかし危険社会は異なる。危険は下層部に集中しており、持てば持つほど「不幸」であり「不健康」なのである。というか、要するに、これはイリイチの言う「逆生産性」の完成形態のようなものである。

    だが他方で課題と思われるのは、「階級」闘争という旧来の図式に依存する旧左翼の政治家ならびに政党は、こうした事態にうまく対応できないので、危険社会に必要な政治的連帯に失敗するおそれがある、という点である。そして、政治的連帯がうまくつくれずに、危険社会の問題解決に必要以上に手間がかかってしまうかもしれない。いや、実際にそうなっている。政治的争点が、言ってみれば、放射能の危険性の少ない社会を目指すのか、そうではないか、ということが、危険社会の政策的差異であって、貧しい人のためにとか、金持ちのために、と言った階級的「富」「利権」のみを代表するような政治家は、こうした危機にとって悪影響を及ぼすことになるだろう。

    思い返せば、原水爆に対しては、「軍事」ということが主題にあった、また、当時の冷戦構造において、米ソ、左右、といった政治的イデオロギー対立もあった。また、地球環境問題が顕在化した際にも、工業国とそうでない国とのあいだでの対立が顕著になった。

    「自己」とか「所有物」が意味を失い、さらには「国籍」「空間」「時間」といった概念も、従来の意味を失った。

    「富」を生産し分配し拡充することに慣れてしまった私たちは、「リスク」の生産をまるで「富」と同じように実行してしまっている。

    こうした問題を問いかける本書は、アダム・スミスの「国富論」と同じような歴史的意義のある書物であると思う。

    しかし、はたして、私たちは、何を目指してこれから生きてゆくのだろうか。

    (明日につづく)


    本書の構成
    第1部    文明という火山――危険社会の輪郭
    第2部    社会的不平等の個人化――産業社会の生活形態の脱伝統化
    第3部    自己内省的な近代化――科学と政治が普遍化している

    「産業社会が自己内省的近代化をたどる」(13ページ)と「序論」に書いている。

    第一部の内容は、危険社会は、危険の生産の「論理」が富の生産の「論理」を圧する。つまり、富の生産よりも危険の精算の方が比重が高くなる。第1章では「危険社会」における分配の問題について、第二章では、科学の合理性と社会の合理性の対立について論じられる。

    第二部では、産業社会における近代と反近代の内在的矛盾について論じられる。第三章では、階級と階層の現状について、第四章では、男女の状況について、第五章では、個人化、制度化、標準化について、第六章では、仕事環境の状況について、それぞれ論じられる。

    第三部では、自己内省的な近代化について述べられている。第七章では、単純な科学化から自己内省的な科学化への移行について説明される。第八章では、こうした科学技術がもたらしたリスクに対する「政治」的対応について検討されている。


    結論
    原子力の利用は、少なくとも、私たちのこれまでのやり方ではだめなのではないか。その最たるものでが「国家」という概念であり、放射能に対しては、まったく国境というものが意味をなさない。地球温暖化といった地球環境問題とともに、本当の意味での「グローバル」な課題なのである



    観た映画
    世界は恐怖する 死の灰の正体
    亀井文夫:監督
    三映社
    1957年

    一言コメント
    センセーショナルな映像もあるが、基本的には数多くの研究者の協力を得て、冷静な科学的データを提示している作品。至るところに放射能の恐怖があるという絶望的な内容。被曝と奇形児の関連性を暗示した点が最大の特徴。



    昨日のブログで映画監督の亀井文夫「たたかう映画」について書いたが、今日は彼の作品のひとつ、「世界は恐怖する」について。

    内容的にどこがどうということもないのだが(書きにくい)、「一言コメント」で書いたように、観る人によっては、ショッキングな映像に目を奪われてしまう場合もあるし、逆に、数多くの実験のデータや結果に興味を抱く場合もあるだろう。この両面があるところがこの映画の特徴である。

    本当は、放射能の影響を多面的に描いた佳作であるとは思うのだが・・・

    正直言って私には、見るに忍びないシーンが多く、暗欝な気持ちを耐えつつ二度ほど通してみた。

    しかし一方では、本当に、当時協力してくれそうな科学者が総動員されているような勢いであった。最初に「協力した研究者」のリストが表示されるが、その数の多さに驚かされた。

    ただ、一つひとつ調べてみると、一部記載されていない人物や、逆に名前だけの人もいる。名前だけの場合は、裏方的な協力だと推測されるが、他の人たちは、単に入れ忘れなのか、何か意図や理由があってなのか、不明である。

    以下、映像の流れに沿って、簡単な内容とそこにかかわった人物などを記載しておく。なお、内容のチェックには、「chihointokyoの毒皿ブログ」の記事を参照させていただいた。ここではナレーションがすべて書きだされているので、とても参考になった。記して感謝の意を表します。


    タイトルスクロール
     背景に原爆の図(丸木位里 丸木俊子)

    ・インド産の熱帯魚ブループラティの産卵の模様

    ・十姉妹にコバルト60をあてる実験(1500レントゲン毎分を照射)
     日本アイソトープ協会の地下実験室
     マジックハンドで操作する映像

    ・ラジオ体操の風景

    ・立教大の屋上の集塵機(田島英三教室)
     道家忠義(立教大学、現在、早稲田大学理工学研究所)
     斉藤信房(東京大学、1938-2007)
     東京の空気からプルトニウム239を検出

    ・フィルターを通した空気浄化のようす
     オリエンタル写真工業
     斉藤信房の研究室でストロンチウムの抽出実験

    ・ビキニ沖水爆実験の影響として、人工放射能を含んだ雨を検出
     三宅泰雄(気象研究所、1908-1990)
     最近では水爆実験があるなしにかかわらず高い数値が出ている

    ・各地の農耕地の土の調査
     江川友治(農業技術研究所)

    ・セシウム137を稲の根元に与える実験
     山県登(群馬大学、1920-1986)

    ・汚染された牧草を食べる牛の乳からも放射能
     セシウム137は遺伝性障害のおそれ

    ・1日に食べる食料にどのくらいの放射能が含まれているか
     浅利民弥(日本検査、後に日本分析化学研究所専務理事、贈賄容疑で逮捕される)

    ・ハツカネズミの実験(ストロンチウム90を2.4マイクロキュリー与える)
     宮川正(東京大学、1913-2002)

    ・ウサギの実験(呼吸器からの影響)
     清水健太郎(東京大学、1903-1987)
     *原子炉から出た放射性物質の溶液を使用

    ・人骨に蓄積されたストロンチウム90の分析
     浅利民弥(再登場)

    ・ハツカネズミの実験(ストロンチウム90を注入し白血病や癌を発症させる)
     渡辺漸(広島大学、1903-1984)
     門前(広島大学) *クレジットには記載されていない

    ・被爆者へのインタビュー

    ・ショウジョウバエの実験(数世代にわたる突然変異)
     村地孝一(立教大学、 -1961)
     森脇大五郎(東京都立大学、1906-2000)

    ・リュウキンの受精卵に放射線をあてる実験
     三村?(東京水産大学)今野(東京水産大学)
     
    *クレジットには記載されていない

    ・被爆者から生まれた子どもの写真

    ・原爆の図(丸木位里 丸木俊子)

    ・プールで遊ぶ子どもたち

    ・無脳児ほか

    ・原爆ドーム

    ・1949-50年の被爆者の奇形率はそうでない場合の2倍以上
     林一郎(長崎医科大学)

    ・死亡した1000体の子どものうち、37体が奇形
     奈良医大の神部教授
     
    *クレジットには記載されていない

    ・原爆ドーム

    ・被爆者(小頭症)
     田淵昭(広島大学)の紹介

    ・東京の球場前広場に集まるカップル

    東京の球場前広場の土の分析(ストロンチウム、セシウムの検出)

    ・人間の血液中の汚染状況
     山県登(再登場)

    ・上空の放射能の高さを調査
     石井千尋(気象研究所)
     伊東彊自(気象研究所)

    ・鹿の角を使ったストロンチウムの蓄積実験
     樋山教授(東京大学)
     *クレジットには記載されていない

    ・三つの調査データ
     地表面に蓄積したストロンチウム90(東京)
     1957年以降核実験が停止されたとした場合の地表面のストロンチウム90
     過去3年間と同じ割合で核実験が行われるとした場合の地表面のストロンチウム90
     
    三宅章雄(東京水産大学

    ・ネズミが死にゆく姿

    ・雨に打たれる稲穂、雨のなかをカッパを着て歩く子どもたち

    ・作者のことば

    ・蓮の花


    協力している科学者としてクレジットされていて、映像中では紹介されていてない人たち
     山﨑文男 科学研究所
     小坂部勇 東京水産大学
     山下久雄 国立東京第二病院 (後に慶応大学)
     武谷三男 立教大学 1911-2000
     草野信男 東京大学 1910-2002
     広島原爆病院




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