紀元前4世紀頃プラトンは、『ティマイオス』に、今はなき「アトランティス」島について、書き残している。

プラトンよりも1000年以上も昔、エーゲ海では海底火山が噴火し、地震や洪水(記載されていないが、津波もか?)大災害が起こったのだ。

現在でいうと、クレタ島やサントリーニ島あたりを含む一帯は、かつては大きな島であったということが、プラトンやプルタルコスその他の著作から伺い知れる。

また考古学調査によって、この地には、たとえばクレタ島に今も残るクノッソス宮殿の遺跡が物語るように、紀元前2000年頃には、ヨーロッパ最古のミノア文明が栄えていたことも、知られている。

この地では、当時は、母性神が信仰されていた。

この大災害を経て、男性神に席を譲ることになる、とフロイトは『モーセと一神教』において指摘する。

ゼウスは「大地を震撼させるもの」であり、ユダヤ教の神もまた「火」もしくは「火山」の神なのである。

一方、その後600~700年がすぎたとき(紀元前13~14世紀)、モーセが、多くのユダヤ人を引き連れて、エジプトを脱出した。

ここでフロイトは、大胆な説を提出している。

モーセが、ユダヤ人ではなく、エジプト人であった、というのである。

もともとエジプトの宗教は、多神教であるが、紀元前1375年頃に即位したアメンホテプ四世(後に改名しイクナートン)は、これまでの伝統や習慣の一切をやめさせ、太陽を崇拝する新たなる世界最初の一神教であるアートン教を押し付けた。

しかし彼の治世は17年しか続かず、しかも大方の人々は反発したので彼の王宮でしかこの宗教は受け入れられず、その後は再び元に戻るのだが、この時期に形成された、このアートン教が、ユダヤ教に継承されたのではないか、とフロイトは考える。

つまりモーセは王家の一員であり、イクナートンの死後、エジプトを出るほかなくなり、カナンに向かった、とフロイトは推理する。

そしてその後、モーセは、ユダヤ人たちによって殺害されるのだった。

それでなければ、なぜ、神がある特定の民族、つまりユダヤ人を選択したのか、その理由がない、とフロイトは述べる。

本来、宗教とは、ある集団と神とが密接に結びついている。

しかし、ユダヤ教の特異性は、創始者であるモーセが異民族出会った点にあるのではないか、とフロイトは考える。

「モーセこそがユダヤの民のなかに身を落とし、彼らをモーセの民族としたのだ。ユダヤ民族はモーセによって「選ばれた民族」だったのだ。」(フロイト『モーセと一神教』80-81ページ)

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(つづく)