昔の
私の思いこみに気付いた話
を書きます。


母親にたいする欲求が
強くありました。

母親への愛情に餓えていた。

満たして欲しい想いが
強くあった。





「親なんだから子供を大切に思うのは当たり前」と思ってた。


母親への愛情欲求が強くて。。。


 一番大きな思い込みは

「母親は子供を愛すべき」
と思っていたこと。



言い換えると

「子供を愛するのが当然だ。
当たり前だ」
と思っていた。



それがベースにあるので、

そうでない行動や言葉で
怒りや苛立ち 落ち込みになっていた。

(冷たい行動や思いやりのない言葉にね)

(怒りの感情は執着心に繋がる)


でも

「親が子供を愛するのは
当然ではない!

当たり前ではない!」

と気づいた。



そして

親=他人

と気付いた。

母親という役を
演じているだけなのだ。。。



他人に

自分の満たされない
欲求や思いを

満たして貰いたいと
思う方が
無理なこと
なんじゃないのか。。。


もし
満たして貰えたら
有り難いけどね。。。


だったら、
自分で満たせばいいんだ!びっくり

そう思えた時
やっと
楽になれた。

自分がその枠から出れて
自由になれた。


そして
親に対しても
自由な見方が出来て

一人の人間として
見れるようになれた。


そうなれたとき

彼女も大変だったのだろう。
と思えてきた。

彼女の 弱さを
受け入れられたのかも。


親でも
子を育てるのは
当たり前ではない。

育てられない親もいる。

そこをベースに持っていると

求めるものが
貰えなかったとしても

「有難いなあ」
と思えたり出来る。


「こうあるべき」って

「こうあらなければならない」
ってことでしょ。


誰かが決めた言葉でしょ。


この言葉のルール、
決まり的なものに

捕らわれてたんです。


自分の思い込みに気付くと 

楽になる。


縛ってたものから 
自分を開放することが出来る。



「親だから~」
「子供をだから~」
「夫だから~
「妻だから~」

いっぱいある。


そうゆう
「⚪⚪だから~べき」という
縛りに気付いて


自分で自分を
縛っているものに気付いて


自由なところに
出ていきたいですね。



nori