最近言論による政治やデモが活発なので静観していた観があり、また私的繁忙による影響で永らくブログ生活から離れていた今回は、ホリエモンが、時給1500円時代になったら、労働者自身の生活が立ち行かなくなると語った記事に触発されて、この間つらつら思っていたことを書こうと思う
ブログを書くネタに困りはしないほどいろいろある昨今ではあるセンテンススプリングが妙に頑張っている印象である。出版業界の不況が編集方針に変化をもたらしたのか
報じられた甘利元大臣の、あまりどころか非常に芳しくない醜聞も聞こえてきたところだ
直ちにその後釜を手配して任命責任を果たした安倍政権は、憲法改悪しかり、戦争法強行しかり、財界優遇しかり、富裕層優遇しかり、TPP批准しかり、マイナス金利政策しかり、子育て支援しかり、1930年代の大恐慌で真っ暗な経済社会を脱出する手法で、国家主義を推し進め、それまでの富国強兵政策をよりハードに推進して、民族の危機を乗り切ろうとした経験を模倣しているかもしくは無意識に類似させていると思う現在の科学では、非科学的表現の部類かもしれないが、「刷り込まれたDNAの影響」としかいいようがない獲得した思考は遺伝しないというのが、ラマルク以来の伝統だろうが、思考は幼児期・学齢期の洗脳教育によっても伝承されるので、存外的を射た表現にも思われる
1930年代は、それまで社会に勃興してきた大正デモクラシーを圧殺し、その最先端モボ・モガの集団であった日本共産党(1922年創立)を治安維持法などの悪法や治安警察や憲兵を使った無法な白色テロで弾圧して、軍国主義・植民地化政策を推し進めたのである
歴史の教訓としては、国家主義の社会福祉政策は、国家目標を推進する手段であって目的ではないことに十分注意を払うこと、また民主主義の危機には民衆派が大同団結・統一戦線を組織して対抗する必要が絶対的にあることである
戦前は、明治維新支配勢力の土台の上での闘争だったので、敗北したのだが、今は日本国憲法下での闘争なので負けるはずがないと思っているし、その立場を使って有利に闘争を展開する必要がある
ここが私の根本的問題意識でありスタンスである
さて毎度のこと前置きがながくなったが、時給1500円になったら労働者の地位は逆に悪化するのだろうか
単に労働問題をこれまでどおりに捉えていたら、そうだと言わなくてはならなくなるかもしれない「これまでどおり」とは、「資本主義の枠内で」と読み替えてもいい国内の経済成長がこれ以上望めず、海外にも望めなくなってきた今年、得られた富をどのように人民間で分配するか分配のルールの公正さ、経済発展の目的と公正さ、自然・人間環境との調和、これらが求められる時代に、植民地切り取り自由の大航海時代や近代国家が中世絶対王朝の世界遺産を相続し、植民地経営などを柱とした帝国主義時代の思考ではとうとう成り立たなくなってきたのである
元来生活費は、生活するための富の分配という側面とよりよい生活を求めるという欲望の側面がある
また経済成長は、労働人口の増加、資本ストック、技術進歩によって支配されると言う
労働人口が減少し始め、資本が海外へ流出し、経済的合理性のある技術進歩が見込めない今の日本では最早高度経済成長はあり得ないというのが大方の見方であると思う
つまり、よりよい生活を求めたい人民の欲望の追求は、今後も続くものであるところ、富は有限であるという根本矛盾が存在する限り、富を財界・大企業や富裕層に集積・停滞させる政策は、上手くいくはずがないと断言できるのだ
働く仕事を増やすことで、経済を活性化させ、お金を循環させることによってしか上手くいかないと思うそうすれば税収も増え、国の財政も健全化する、一部に富が集積する無駄な歳出、例えば軍事費、例えば思いやり予算、例えば「原理的に経済・環境循環性のない原発」推進政策、例えば海外進出大企業優遇の消費税戻し税問題、などなどこれらを見直せば、老廃物(財政赤字)はよどみなく無害化されていくに違いない
さすれば、国本来の仕事である社会福祉政策に手厚い予算が計上でき、住みやすく安心な国家政策が実現できるようになる
科学技術が進歩しても、経済的土台に乗らなければ、社会としてこれを受け入れる環境にないことになり、この技術開発に予算を計上するには、人類的によほどの価値のある研究であるという政治判断がなくてはできない代物だろうメタンハイドレート開削の件を考えれば自明の真理である
昔資本論を読んでいた時、ギリシアの奴隷制経済社会と未来のロボット社会とを比較して考えていたことがある
表面は、きれいごとの民主主義社会、土台では奴隷制経済を認めるブルジョア社会の古代ギリシャを考えた際、未来はロボットの所有者(資本経営集団や富裕層)とロボットを所有できない無産者との闘争が続いているんだろうなと夢想したものだ
また、かつて上野千鶴子さんと網野善彦さんとの誌上対談で語られていた、「技術は上部構造か土台か」という難しい設問になかなか答えが出なかった問題で、明らかに上部構造だと確信を持てるようになった今の自分がいることに気がついた
科学技術という議論は、自然の摂理を人間が認識するという「研究」段階だけの問題ではなく、この技術を社会が受容して繰り広げられるか否かという「応用」の問題までも入れないと意味がないことに気がついたのだ
経済とは、1月6日の衆議院本会議での代表質問で穀田恵二国会対策委員長が演説したとおり、中国古典にある「経世済民、世をおさめ、民をすくう」の精神のとおりであるべきだと
したがって、政府の責任で時給1500円にして、中小零細企業には賃金補助をして、購買原資を庶民に分配し、税収を上げ、お金を国庫を含めた世の中に循環させる、お金を回すこと、そういう政策に踏み出すべきときに日本はあると思う
この方向性が、資本主義の枠を越えた、人民の自由な発展を保障する社会主義・共産主義経済社会への道につながっていると私は確信している