今回は日本時間に合わせて書かせていただきました。
東日本大震災から1年が経ちました。
被災地での復興が着々と進んでいますが、一方で自分の家を失って元の生活に戻れない人々や、
福島原子力発電所周辺の住民の人たちは、離れたところで避難生活を送っています。
去年3月11日、私は日本にいました。
友人の結婚式出席のため、1週間一時帰国していました。
11日の地震発生時、私は大宮のレストランで友人とランチしていました。
友人と談笑していたら地震が起き、「あ、地震だ」と引き続き談笑していたのですが、
これまでの地震とは明らかに違い、揺れが長く、しかも今まで体験したことのない大きな揺れでした。
これまでにない大きな地震にレストラン内のお客さんたちもパニックになり、
レストランのスタッフが「テーブルの下に隠れてください」と、
お客さん全員テーブルの下に隠れて避難するよう案内しました。
スタッフの方が「東北方面で大きな地震があったようです」と伝えてくれました。
ここのレストランのスタッフの方々が冷静かつ的確に対応して下さったのがよかったです。
外に出ると街は建物から出て避難している人々であふれており、
外にいても揺れを何度も感じるので、悲鳴が鳴り響いていました。
これは現実だよね、映画の世界ではないよね、と目の前で起こっている現実が
一瞬信じられなくなりました。
友人は大宮に住んでいたので、徒歩で無事帰宅することができましたが、
全線ストップしてしまった電車で来た私はと言いますと・・・。
電車が全線ストップしていましたが、幸いバスとタクシーは動いていました。
埼京線の南古谷駅に自転車を駐輪していたので、南古谷まで行ければいいと思い、
隣駅の指扇駅行きのバスがあったので、それに乗って指扇駅まで行きました。
しかし、指扇駅に着いたらタクシーを待つ長蛇の列・・・。3時間は並んだかと思います。
こういう状況になるとまわりの人々は協力的で、
「○○方面へ行かれる方、相乗りしましょう」や「○○方面へ行かれる方いませんか?」と
呼びかけしたり、「大丈夫です、頑張りましょう」と声をかけたりしてコミュニケーションを取ります。
一駅だったので、南古谷駅まで歩こうと思っていた矢先に、
「南古谷駅まで運転してくれる車を見つけました、南古谷駅へ行かれる方いませんか?」
と勇気ある女性がいて、運よくその車に便乗させてもらうことができました。
彼女はヒッチハイクして指扇駅まで来たそうです。
みんなで「運転手さんにお気持ちとして1人1,000円出しましょう」と運転手さんにあげました。
無事南古谷駅に着いた私は駐輪した自転車に乗って無事自宅に戻ることができました。
何せ翌日は友人の結婚式だったので、何が何でも今日中には自宅に戻らないと!の思いがありました。
震災発生時は、携帯がまったくつながらず、公衆電話は長蛇の列で、
いざという時の携帯電話のもろさを実感してしまいました。
友人の結婚式当日。幸い東武東上線と山手線は通常より本数は少なかったですが、
電車が走っていたので、無事結婚式会場へ向かうことができました。
主役の友人の花嫁、花婿さんもいました、ホッ。
友人のCちゃんも無事来ていました、よかった。
交通事情等で来られなかった招待客が数人いましたが、
群馬から来た友人は披露宴開始前に無事着くことができました。
披露宴の最中も何度か揺れを感じましたが、無事式を終え、友人の新たな門出を祝福することができました。
この大変な中で挙式した友人カップルにとって一生忘れられない結婚式でしたでしょうし、
夫婦のより強い絆を認識したことと思います。どうか末永くお幸せに!
この某有名結婚式場に私の友人Nちゃんが勤務していて、無事会うことができました。
彼女は震災当日も仕事で、帰宅できなかったので会社で寝泊りして、
一旦電車で自宅に戻って休んで(睡眠時間2時間だったそう!)からまた出社したのです。
彼女の仕事の頑張りに拍手です。
結婚式の翌々日にアメリカへ戻ったのですが、相変わらず電車は動いてなかったので、
父が車で大宮まで送ってくれて、大宮からリムジンバスで成田空港へ向かいました。
大宮まで行くのにかなり時間がかかりました。
その原因は、ガソリンスタンドで給油する車の長蛇の列・・・。
これまで見たことのない光景に驚愕するばかり。
生まれ育った大好きな自分の国が大変な状況の中、自分はアメリカへ戻ったので、
何か逃げている感じがして、苦しい思いをしている人たちがたくさんいるのに、
申し訳ない、という罪悪感がありました。
やはり家族のことが心配で、しばらくは毎日両親に電話していました。
アメリカに戻ったらメールやfacebookにアメリカ人の友人から
たくさんの心配・励ましのメッセージをもらいました。
留守電に教会の牧師さんからのメッセージがあったので、
電話をかけて、実は日本に戻っていたんです、と話したら驚かれ、
家族は大丈夫か?と心配の言葉をかけてくれました。
そこで牧師さんから提案されたのが、今度の礼拝で地震のことを話して、
募金の呼びかけをしてはどうか?とのことでした。
アメリカへ戻った私に出来ることは、教会のみなさんに、
これまで体験したことのない大きな地震のことを話し、募金を呼びかけることだと思いました。
私なりに一生懸命にその時の状況をお話し、どうか日本を助けてください、と呼びかけました。
たくさんの教会のメンバーが私たちに励ましの言葉をかけてくださいました。
中には「昔日本にいたことがあるから今回の大地震はすごくショックだった」と言う方もいました。
教会のメンバーにはたくさん励ましてもらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
ボランティアしている小学校の先生たちからも励ましてもらいました。
明日の教会の礼拝で、お祈りしたいことを皆さんの前で話す機会があるのですが、
私は震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、
現在も避難生活を送っている方々の健康をお祈りし、そして一刻も早い復興をお祈りしてきます。
そして私たちの国を支えてくれた教会のメンバーを初めとするアメリカの人々に
感謝の気持ちを伝えてお礼したいと思います。
改めて、東日本大震災で被害に遭われた方々と地域に心からのお見舞いとともに
一刻も早い復興をお祈り申し上げます。