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ハロヲタな蹴球生活

モーニン娘。をきっかけにハロプロにハマった蹴球人のブログです。

このように、数多くのトップアイドルを排出してきたハロプロの育成組織ですが、その成功の大きな要因のひとつに、スタートのタイミングがあると私は考えています。

ハロプロキッズがスタートした2002年はまさにモーニング娘。全盛期と言える時期で、この時期に育成をスタートさせたことが、のちに四半世紀を超える歴史を積み重ねる大きなターニングポイントとなりました。

全盛期に育成をスタートさせたことにより、ハロプロキッズにはいくつかの大きなアドバンテージがありました。
 

一つ目は豊富な資金力です。

モーニング娘。や松浦亜弥さんなど、時代のトップを走っていた当時のアップフロントには、当然、大きな利益があったと思われます。大きな利益があったため、育成においては採算をあまり気にすることなく、新規事業に取り組めたと考えられます。

その一端を垣間見ることができるのはが、初の育成出身グループであるBerryz工房のデビュー時のエピソードです。新人アイドルとしては異例の三ヶ月連続シングル発売とその後のアルバム発売、さらにデビューシングルである“あなたなしでは生きてゆけない”のミュービデオはさいたまスーパーアリーナを貸し切って行われており、Berryz工房が先行投資の元にデビューを果たしたことが伺えます。

 

二つ目は強力な広告宣伝力です。

資金力と同じく、全盛期のモーニング娘。には強力な広告宣伝力がありました。モーニング娘。を観ない日はないと言って良いほど毎日テレビに出演しており、冠番組のハロー!モーニング。も人気を博していました。そのため、“モーニング娘。の妹分”と言えば、世間もあるある程度活動をイメージ出来る状況にあり、ハロプロキッズを周知するチャンスが豊富にあったと言えるでしょう。

 

三つ目は多様な経験の場です。

今と同じく、当時のモーニング娘。も全国各地をコンサートツアーで回っていました。日本武道館をはじめとする大きな会場でのコンサートも定期的に行われており、そのコンサートにキッズメンバーはバックダンサーなどで出演することが出来ました。デビュー前から大きな会場でのパフォーマンスの経験が出来るのは、ハロプロの育成だからこその特権であり、この伝統は形を変えながらも現在まで引き継がれています。

 

このようにハロプロの育成は、人気が絶頂にあった時期にスタートしたことで、様々な形での育成への投資が可能となりました。そしてその投資の結果、組織の礎の構築に成功し、女性アイドルグループとしては異例の25年の歴史を積み重ねることに成功しました。