ハロプロとサッカークラブについての考察:普及③ | ハロヲタな蹴球生活

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モーニン娘。をきっかけにハロプロにハマった蹴球人のブログです。

スポーツ業界においても、アイドルにおいてもクラブやグループを社会全体に浸透させるためには、子どもへの普及が重要なポイントとなります。

 

Jリーグのクラブでは子どもの招待事業や幼稚園・小学校への巡回指導、ハロプロではメンバーの子ども向け番組への出演など、両者ともに継続的なアプローチを続けていますが、サッカーとハロプロが世の中に浸透した背景には、キャプテン翼とミニモニ。を通じた子ども向け戦略の成功があります。

 

キャプテン翼は、日本中のみならず世界中で愛されているサッカー漫画で、元イタリア代表のデルピエロ選手やトッティ選手、日本でもプレーした元スペイン代表のイニエスタ選手など、世界のトッププレーヤーが漫画を読んで育っており、世界で一番知られている日本のサッカー選手は主人公の大空翼選手であると言っても過言ではない知名度を誇っています。

そんなキャプテン翼の連載が始まったのは1981年で、当時、Jリーグはまだなく国際大会でも成績が振わない日本サッカー冬の時代でした。そんな時期にキャプテン翼の連載がスタートしたことで、子ども達の間でのサッカーの人気が高まり、このあとのJリーグ開幕や日本代表の躍進の要因のひとつとなりました。実際に日本サッカー協会の会長も務めた川淵三郎氏は、キャプテン翼の功績をこのように述べています。

 

『日本サッカーの大功労者だよ、疑いようもなく。『キャプテン翼』のおかげでサッカー好きな少年が爆発的に増えて、底辺が一気に拡大したからね。わかりやすい例を挙げれば、『キャプテン翼』が始まってから道端でボールを蹴っている子どもを見るようになった。それまでサッカーボールで遊ぶ子どもを見かけることなんてなかったが、それがいつの間にか子どもたちがサッカーで遊ぶようになり、今や子どものいる家庭にはサッカーボールがあるのが当たり前だからね。(中略)中田ヒデにしても、俊輔にしても、小野にしても、みんな『キャプテン翼』に影響を受けた世代。その意味では、『キャプテン翼』があったから現在のような日本のサッカーになれたといっても過言じゃないね。もちろん、Jリーグも『キャプテン翼』がサッカー人気の土台を作っていたからこそできた。』

 

そして、ハロプロにおけるキャプテン翼の役割を果たしたのが、ミニモニ。です。

ミニモニ。は当時人気絶頂期であったモーニング娘。から派生したユニットで、2期メンバー矢口真里さん、4期メンバーで双子のようであった辻希美さんと加護亜依さん。そして、ココナッツ娘。のミカさんの150cm以下の4人で結成されました。

 

デビュー曲“ミニモニ。ジャンケンぴょん”に代表されるように子どもをターゲットにした楽曲と、同じく当時、小学生年代に絶大な人気を誇っていたとっとこハム太郎とのコラボ、バカ殿への出演などで、子ども世代からの不動の人気を獲得しました。

現ハロプロリーダーの譜久村聖ちゃんなど、ミニモニ。をきっかけにハロプロを好きになったメンバーは少なくなく、ミニモニ。がハロプロにおいてキャプテン翼の役割を果たしたと言えるでしょう。

 

このように、子ども世代のファンを獲得することはその家族までを巻き込むこととなり、組織を社会により深く浸透させることが出来ます。

双方のこれからの子ども向け戦略にも、注目していきたいと思います。