おはようございます^ ^

ブログへのご訪問ありがとうございます。
この素敵な出会いに感謝いたします。

これは、発達障害、ADHD、高機能自閉症、
後発難聴の私のエピソードです。


今朝のエピソードは、

あと、一歩だけ前に進もう٩( 'ω' )و変化とは、あと一歩前に進む事の繰り返しというお話です。


追記は文末に掲載しています。

(画像は全てお借りしています。)


人は自分にしかなれないし、自分にしかなりません。

だから、私は、他の誰かと自分を比べません。


私が比べているのは、昨日までの自分です。

昨日までの自分よりも、あと、一歩、半歩、前に進めたら、学び、成長し、変化していけたらと思い、日々を過ごしています。


なので、他の誰かと自分を比べて、

自分が劣っていると落ち込む事もなければ、

羨ましいと思う事も妬む事もありません。


(凄いと感じたり、尊敬したり、見習いたい、参考にしたいと思う事はあります。)


ましてや、

あいつよりはマシだからいいや、なんて事は思いませんし、考えません。


何故なら、それが頭に浮かんだ瞬間に、思考が停止するからです


思考が停止すると、そこから学ぶ事も、成長する事も、変化する事もしなくなり、そこで止まります。


あいつよりはましだからいいやと、その状態であぐらをかき、それ以上、努力しようとしなくなります。


それは、私の望む事ではありません。


人は生きている限り、学び、成長し、変化し続ける事の出来る生き物です。


私はそうありたいと望んでいます。


とはいえ、人は変化を恐れる生き物です。

出来れば、変わりたくない、そのままでいたいという性質を持っています。


人には其々に、コンフォートゾーンという

この範囲にいれば、自分が安心して快適に過ごせるエリアがあります。


そのエリアを広げていく事が、自分の世界を広げ、なりたい自分になる事に繋がっていくのですが、


このコンフォートゾーンを、例えば、自分だけのお家だとすると、


人は変化を恐れる生き物ですから、

自分だけのお家から、一歩外に出た途端に、


違和感を感じます。

ソワソワし出して落ち着かなくなります。


自分だけのお家から離れれば離れるほど、更に落ち着きを無くし、いつもと違う環境に身を置く事を事に不安を感じ、人によってはそれが怖いと感じます。

なので、さっさと、お家に帰る理由を、引き返す為の言い訳を探し始めます。

地球に引力があるように、コンフォートゾーンにも引力があり、引き戻そうという引力が働きます。

自分だけのお家から、一歩外に出て、そのまま、進んで、自分の世界を広げて行きたいけれど、なりたい自分になりたいけれど、

自分が変わるのがなんだか怖い、


それに、これって、

人から見てみてどうなのだろうか?

人と比べてどうなのだろうか?


もし、自分が変わってしまったら、

人から〇〇だと思われるのでは?

人から〇〇だと言われるのでは?


それに上手くいかなったらどうしよう。

失敗したら人から何て言われるんだろう。


だったら、やめておいた方がいいのではないか、

と、この様に、今の自分から変化しいく事に、不安を巡らせ、ためらいます。


そして、これらを理由とし、言い訳とし、


今までの自分に、自分だけのお家であるコンフォートゾーンへと引き返していきます。


それはまるで、

地上を飛び立ったロケットが引力により、

地上に引き戻されるかの様にです。




それでは、この、パニックゾーン(恐怖領域)と呼ばれる、なんだか、なんだか落ち着かない、この不安で怖いと感じる領域から抜け出し、コンフォートゾーンを広げていくには、どうすればいいのか?


それには、引力に引き戻されない為の速度が必要になって来ますので、


これを例えるならば、地上を飛び立ったロケットが速度を上げる為に、不要になった機体を切り離すように、


次の領域へと進む為に不要な事を手放す事、やめる事です。


それは、今まで、本当は、あまり気が進まないのだけど、あまり楽しくないのだけど、これをやらないと不安だから、これをやればと安心だから、やらなければいけない、やるべきだ、でやって来た事、続けて来た事です。


それを、やらないと、

人からどう思われるか不安だ、

人から〇〇だと思われたら嫌だな、

人から〇〇だと言われたら嫌だな、


これって人と比べてどうなのだろう?

人から見てどうなのだろう?


そして、本当は、興味があるのだけど、やってみたいのだけれど、失敗したくない、

失敗したら人から何て言われるか、何て思われるか、などと、様々な理由をつけて、


それを始める事を、チャレンジする事をためらって来た事です。


これらが、飛び立ったロケットの速度を落とし、地上への引き戻そうする重力の主な正体のひとつです。


これらを、手放す事、やめる事をせずに、前に進もうとするのは、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるのと一緒です。


これでは、なかなか前に進みませんし、速度もあがりません。パワーを浪費し、燃費効率もよくありません。


前に進むには、速度を上げるには、ブレーキから足を離し、アクセルだけを踏む事です。


ブレーキから足を離す為に、まず、最初にする事は、自分を人から離す事です。人は人、自分は自分になる事です。


他の人、誰かを主語にして、人と比べて、人からの評価を、人の目を気にして、それをやらない事、出来ない事の理由にしているうちは、他人軸で生きています。


自分を主語にして、人と自分を比べず、人からの評価を、人の目を気にせず、やりたい事をするのが自分軸で生きるという事です。


このように、なりたい自分になるには自分軸で生きる事が必要になって来ます。


そもそも、人は自分の思ったように、

自分を事を見ませんし、思いません。


人は自分の事を、その人が感じたままに、好きな様に、見て、思います。

そして、それは人其々に、見方も感じ方も違います。


それは自分にはどうにも出来ない事です。

どうにも出来ない事を気にする必要はないのです。

ましてや、それに縛られる事はないのです。


いつだって、自分を縛りつけ、自分を制限しているのは、自分自身です。


誰かが自分を縛りつけ、制限しているわけではありません。


なので、さっさと、そこから自分を解放してしまえばいいのです。


それが、恐怖領域を抜けて、学習領域へと進むという事です。



学習領域に入ると、新しい世界での、なりたい自分に、より、近づき、変化していく為の問題が起きてきます。


その問題に真摯に取り組み、クリアすること事により、コンフォートゾーンは、世界は広がり、なりたい自分に、より、近づき、変化していきます。


ここで、問題に取り組まず、他の誰かにさせようとしたり、それを誰かや何かのせいにしておしまいにしたりしてしまうと、引力により、前の領域に引き戻されます。


あれや、これやと、言うだけで、結局は自分では何もしない、やらない人などは、この典型です。


ですが、自分は変わりたくない、

変化を求めないというのであれば、


あえて、

自分のコンフォートゾーンの中の環境を充実させていくというのも、アリだと思います。


人に迷惑をかけないのであれば、

それは、選択の自由です。


ここで、問題なのは、人に迷惑をかける事です。


人を変えようとする事です。


自分だけのお家ルールを押し付け、それに人を従わせ、自分の為に何かをさせようとし続ける事です。


自分の欲を満たす事や、不機嫌に、人を、巻き込み、どうにかさせようとし続ける事です。


もしも、自分の周りにこのような人がいる場合には、近づかないか、適度な距離を保って付き合う事が大切だと思います。


関わらない事、巻き込まれない事が一番です。


さて、この学習領域が広がった先には、成長領域が待っています。



ここまで、領域を広げる事が出来ると、自分だけのお家である。コンフォートゾーンはこの大きさで安定します。


まるで衛星軌道に乗った人工衛星の様に、少ない力でその大きさを保つ事が出来ます。引力により、前の状態に引き戻される事は、ほぼ、無くなります。


物事が上手く行っている人ほど、少ないパワーで、燃費効率よく、物事を行っているのは、こういう事なのです。


そして、そこから新たな目標を見つけるのもよし、

人生という名の旅はまだまだ続きます。


これは、スケールの大きな、大変な努力が必要な事のように感じるかもしれませんが、


スタート地点は、勇気を出して、

自分だけのお家から、一歩だけ踏みだす事、


そして、あと、一歩だけ前に進む事の繰り返しです。


今、目の前で起きている問題に、


いつもだったら、

新しい事にチャレンジしないけれど、今日は思い切ってチャレンジしてみよう。


いつもだったら、

文句だけ言って何もしないけれど、

誰かや何かのせいにしておしまいにしてしまうけれど、


今日は、勇気を出して、取り組んでみよう。


いつもだったら、

嫌だなぁと思いながらも、

無理をして良い人になっているけれど、


今日は、勇気を出して、良い人をやめてみよう、ハッキリと断ってみよう。


こういった、いつもより、一歩前に出た取り組みをする事、それを繰り返していく事なのです。


自信はなくても、それでもいいのです。

最初から自信のある人などいません。

最初から上手くいく人などいません。

失敗して当たり前です。


笑顔で、胸を張って、堂々と、前に進んでいけば、

進み続けていけば、


自分から逃げださなければ、諦めなければ、


結果は後からついてきます。

自信は後からついてきます。


だから、いつもより、

あと、一歩前に出て、今までしなかった事、出来なかった事に挑戦してみる。


嫌だと思う事はもうやめる、

嫌だと思う事はもう引き受けない、

嫌だと思う人からは離れる。


自分が楽しいと思える事をする。幸せだな、良かったなと、思える事のお手伝いをする。


楽しいな。幸せだなと、思える人の側にいく、側にいる。


そうやって、

一歩外へ、一歩前へ、進んでいく、


このひとつ、ひとつは、

小さな勇気と小さな変化です。


この小さな変化の積み重ねが、

ふと、気がつけば、大きな変化へと、自信へと、

結果と繋がるのです。


そうして、世界は広がり、なりたい自分へと近づいていくのです。


なので、勇気を出して、

あと、一歩だけ前へに進んでみませんか。



私は、あと一歩だけ前に進もうと思う時に、

その勇気を奮い立たせる、自分への応援ソングとして、NHKのプロフェッショナルのテーマソングであるスガカシオさんの「progress」を聴いています。


自分の一番厄介な敵はいつだって自分自身です。

他の誰かとか何かではありません。


他の誰かや何かが自分の思い通りではないから、

自分がそれを出来ないなんて言っているうちは、

本気でそれをしようとしていません。


それが出来なかった時の、上手くいなかった時の、

やらなかった時の、そして、それをやらなくて済む為の言い訳を先に用意しているだけです。


他の誰かや周りの何かが、

お膳立てして、環境を整えてくれなければ、

ご機嫌をとってくれなければ、

出来ないなんて、やれないなんて、

言っているうちは本気ではありません。


自分の目の前にある小石を拾うのは、

あくまでも自分自身です。


それすら、

自分で拾おうともせずに、人に拾わせようとする。


何故、拾ってくれないのだと駄々をこね続けているようでは、学ぶ事も成長する事も出来ません。


ブツブツと文句を言っている暇があるのならば、

さっさと、自分で、その小石を拾い、そして、片付けるのです。


人に何かを期待するよりも、自分でさっさと何とかしてしまった方が、早いですし、確実だからです。


自分の最大の敵が自分であるように、自分の最大の味方は自分だからです。


世界が広がって、なりたい自分に近づいていけたら、自分の事を、今よりもっと好きになっています。


今より、もっと、頼りになる自分になっています。


なので、この先、何か問題が起きても、その時の自分は何とかする、出来ると信じています。


そして、何とかならない問題は起きない様になっています。


神様、仏様は、その人が何とか出来ない、乗り越えられない問題はお与えにならないそうです。


そして、起きる事には必ず意味があります。

そこから、何を学び、それをどう生かすか、

私達はそれを試されているのです。


だから、その与えられた問題に取り組まずに、誰かや何かのせいにしておしまいにしていては、勿体ないですよね。


こうして、目の前に学びの機会が与えられているのですから、そこから学び、それを生かし、成長し続けて行きたいと思います。


お付き合い頂きましてありがとうございます。

感謝いたします。


今日も素敵な一日をお過ごしください。


おひいさま(ヘタレ)


※追記しました。

さて、2019年2月末より、スタートとした。
私のブログには、数々の面白い噂が流れています。

その中のひとつが、
「ヘタレは運営に顔が効く(知り合いがいる)から、特別扱いをされている」というものでした。

それが、途中から、尾鰭(おひれ)がついて、
「ヘタレは障害者だから、運営に顔が効く(知り合いがいる)から、特別扱いをされている」
に、変わりました。

私は、ブログデビューをして間もない頃に、運営さんから、ブログを仕事にしてみませんか?という、運営さんによる育成のオファーを頂いた事があります。(この時は断らせて頂きました。)

この話を当時交流のあった噂の主に話した事があるのですが、これを、何をどの様に解釈したのかはわかりませんが、

「ヘタレは障害者だから、運営に顔が効く(知り合いがいる)から、特別扱いをされている」

と、吹聴しています。

ですが、
私は、運営さんから、私が障害者だからを理由に、お話を頂いた事は一度もありません。
そして、私は、運営さんに顔が効く事も無ければ、知り合いもいません。

最初の育成のお話の時からそうでしたが、
昨年6月から、運営さんの依頼で、メーカーさんや、ショップさんの商品やサービスのPR記事を執筆させて頂いていますが、

その依頼の内容に、私が障害者だから依頼したというものは一切ありません。

それ以前に、私は、運営さんと、私が障害者だからというやりとりをした事がありません。

なので、この噂の主は、何を根拠に、この様な、私が障害者だからと、吹聴しているのかはわかりませんが、

私の事で運営さんが思った通りに対応してくれなかった事が、この吹聴の主な理由だとは聞いていますが、

運営さんへの問い合わせで、私が障害者だから、私が運営さんに顔が効く(知り合いがいる)から、特別扱いをしているという様な、返答があったのでしょうか、

もし、あるのであれば、是非、公表して頂きたいものです。

もし、ないのであれば、噂の主は、自分がこうだと思ったからという、憶測や推測による自分の思い込みで吹聴した事になります。

これは、障害者に対する人権侵害であり、誹謗中傷にあたります。
運営さんにとっても迷惑行為であり、風評被害です。

ですが、私はこれを、そう思いたいのであれば、そう思わせておけばいいと思い、生暖かく、見守ってきました。

反応する必要はないと思い、スルーをして来ましたが、今回、話のネタとして、ブログのネタにさせて頂きました。

そして、この他にも数々の面白い噂があり、
今回は、その中から、3つ紹介させて頂きます。

私がテレパシーで周りの人達を意のままに操って、何かをさせているという。

「ヘタレ、エスパー説」

私が実在しないのではないか?という。

「ヘタレ、非在説」

私が病原菌だという。

「ヘタレ、病原菌説」


ヘタレ、エスパー説に関しては、
常識で考えても、私にそんな事が出来るわけないじゃないですか、世の中にそういった事が出来る、異能の持ち主がいるのかどうかは、存じあげませんが、それが私ではないのは確かです。

なので、何故?この様な考えに至るかが理解出来ません。

それ以前に、これって、どこの世界のお話ですか?
SFとかファンタジーの世界の中でのお話なのでは?
大丈夫ですか?と逆にこちらが心配になります。

ヘタレ、非在説に関しては、
私には、運営さん、メーカーさん、ショップさんから、そして、ブロ友さんからの郵便物や荷物が届きます。しかも、年明けに自宅でのエアコンと換気扇のお掃除のモニター体験をさせて頂きました。

なので、何を根拠に私が存在しないのかはわかりませんが、もしかしたら、私の存在自体を全面否定したいでしょうか?謎は深まるばかりです。

ヘタレ、病原菌説に関しては、もし、私が病原菌だとしたら、「世界初の病原菌ブロガー、ヘタレ」となり、

なんと⁈Σ(・□・;)
驚くべき事に、病原菌がスマホやPCを操作し、ブログをUPしている事になります。

その様子をYouTubeなどで配信したら、おそらく、驚愕の再生回数となり、想像もつかない額のアフリエイト収入が発生するでしょう。

なんだかスケールの大きな話になってきましたが、
まあ、冗談はこのあたりにしておいて、本題に戻りたいと思います。

この様に、人が自分の事をどの様に見て、どの様に思うのか、それは自分ではどうにも出来ない、ならない事なのだと思います。

なので、私はこれからも、これらの噂を、生暖かく見守っていくのだと思います。

そして、この様に、時々、話のネタ、ブログのネタにして、笑いに変えて行こうと思います。

以上、ブログを続けていると、この様な、数々の面白い噂が流れるというお話でした。

お付き合い頂きましてありがとうございます。
感謝いたします。

おひいさま(ヘタレ)