現在では、世界のあらゆる国で採用されている「グレゴリオ暦」。
国家単位での改暦は様々な労力をようするため「今日から変わります」と言う様な簡単な作業ではありませんが、その優れた正確性は、旧来のこよみからの変更の代償に似合うものです。

しかし、この普及の過程では様々な軋轢を生んでおり、世界を網羅するまでにはかなりの時間を要しました。

宗教上の問題、西洋化に対する反発、改暦に伴う労力の問題。

いくら優れた仕組みであってもなかなか一筋縄では統一されないのは、今の「世界標準」争いにも符合するところが多いと思います。

当然、グレゴリオ暦の時代に「グロバール化」などと言う言葉はなかったと思いますが、その過程は「グローバル化」に伴う諸問題が噴出する現在と似ており、その先駆けだと言えます。

どの時代でも、何かの決めごとには「思惑」がつきまとうのですね。
何だか複雑です。