森 鴎外「うたかたの記」 現代語意訳版 030
この時、二、三粒の雨が車上の二人の衣服に落ちてきたが、瞬く間に大降りになり、湖上からは横しぶきが荒々しく打ち付けてきた。薄化粧をした少女の片頬に打ち付けるのを見ていた巨勢の心は、だんだんと空っぽになっていった。少女は伸びあがると御者に
「一杯奢るからもっととばして!馬にもっと鞭を加えて!」
と叫び、右手で巨勢の頸を抱き寄せ項をそらせて見つめあげた。巨勢は綿のような少女の肩に頭を軽くのせた。その彼女の姿から、またあのバヴァリア像が胸に浮かんできた。