森 鴎外「うたかたの記」 現代語意訳版 028
この辺りの道に詳しい少女に引かれて、
巨勢は右手にある石段を登った。
ここはバワリアの庭というホテルの前で、
屋根のない場所に石のテーブル、椅子
などが並んでいた。
今日は雨上がりの後のせいか、
人気もなかった。
ウェイターは黒い上着に白の前掛けを
して、何かつぶやきながら、テーブル
に倒しかけていた椅子を起こして、
それを拭った。
ふと見ると、片側の軒先に沿ってつた蔓をからませた架(たな)があり、その下に丸テーブルを囲む一群の客がいた。それはこのホテルに宿泊している人たちであろう。男女混じりの中には、先日の夜、ミネルバで見た者もいたので、巨勢は挨拶をしようとしたら少女に押し留められた。「彼らは、あなたが近づく人たちなどではないわ。私はあなたと二人でここに来たけど、恥ずべきなのは、むこうであって、私たちではないわ。見てて、そのうちテーブルから離れて、カップルでホテルに入って行くわ。」しばらくすると美術学生たちは女性を連れ添ってホテルへと入っていった。少女は巨勢に、船は出るかしらと聞いた。流れの速い雲を指して、この天候の悪さでは船は出ないだろうと答え、車でレオニに行こうと言い添えた。
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