森 鴎外「うたかたの記」現代語意訳版 017
巨勢は半信半疑であったが、あえて少女にきいた。
「そんなに自分を責めるな。今でも額に君の唇が触れた感覚が熱く残っている。単なる悪戯だと思い、何度も忘れようとしたが、気分は晴れなかった。もし辛くなければ君の本当の身の上を聞かせてくれないか。」
窓の下にある小さな机に、カバンから出した新聞、使いかけの油絵の具の筒、粗末な巻きタバコの端が残ったままの煙管などを乗せていた。その机の片隅に巨勢は頬杖をついた。少女は前にある籐の椅子に腰掛けて話だした。