武田家との同盟を破棄した翌々月、遂に扇谷上杉家vs武田家の戦いの火蓋が切って落とされました。



1554年12月

武田家の支城・岩殿山城を攻略


1555年 2月

武田家の本城・躑躅ヶ崎館を攻略


1555年 4月

武田家の支城・飯山城を攻略


1555年 5月

武田家の支城・高島城を攻略


1555年 7月

村上家の本城・葛尾城を攻略
村上家が滅亡する
武田家の本城・林城を攻略



武田家といえば、最強の騎馬軍団を有し、配下武将も猛者ぞろい。


しかも、単なる荒くれ(前回紹介した誰かさん のような)ではなく、采配・知謀等の頭脳プレーも得意とする文武両道型の武将が多いため、かなり厄介な相手です。


今や屈指の軍事力を誇るようになった我が扇谷上杉家であっても、武田家精鋭の騎馬軍団が攻め込んでくると、城を明け渡して、逃げ出したくなります。


そこで、武田家を攻略するには、とにかく先手必勝。

今回も、長尾家戦のときと同様、扇谷上杉軍は二手に分かれて、一気に武田家領土への攻勢を仕掛けます。


当時、武田家は京都上洛を目指し、西へ西へと領土を拡大していたため、有力武将が各地に分散していたことが、扇谷上杉家にとって幸いしました。


多少、手強い武将であっても、複数方向から一斉攻撃を仕掛けることで部隊を殲滅させ、士気を「0」に持っていく。


この必勝パターンを繰り返すことで、扇谷上杉家は武田家の領土を次々と侵食していきました。


また、武田家攻略の途上で、武田家と領土を接する村上家にも攻撃を仕掛け、村上家を支配下に置くことにも成功しました。

(村上家に何ら恨みがあったわけでもないですが・・・)


まず、幸先の良いスタートを切ったといえるでしょう。
しかし、これくらいで気を緩めることは出来ません。

宿敵・武田家との抗争は、まだまだ続きます。