1554年 3月

長尾家の支城・魚津城を攻略


1554年 5月

長尾家の本城・富山城を攻略


1554年 7月

長尾家の本城・御山御坊を攻略
長尾家が滅亡する


1553年4月から始まった対長尾家戦も、いよいよ大詰め。

西へ西へと勢力を拡大する長尾景虎殿を遂に御山御坊で追い詰め、遂に扇谷上杉家は長尾家を陥落。


長きに渡った戦いに終止符を打ち、大団円・・・と言いたいところですが。


此度の対長尾家戦は、宿敵(といっても、この段階ではまだ同盟関係にある)武田家との全面戦争の前哨戦。


単に長尾家を陥落すればよいのではなく、もう一つ大きな目的でありました。


「長尾景虎を扇谷上杉家の家臣団に加える」


領土の拡大も、威信の上昇も二の次。喉から手が出るほど欲しかった越後の虎。


ええ・・・我々は最善の手を尽くしました。


御山御坊戦だけ何度やり直したことか・・・。


まず、戦闘終了後に景虎殿が捕まらない。


愛馬・放生月毛で、悠々退却です。


やっとの思い(セーブ&リセット×十余回)で捕獲したと思ったら、登用の誘いに首を縦に振りません。


山内上杉謙政殿の養子にはなるのはOKでも 、扇谷上杉家の家臣になるのはどうしても嫌だというのです。


景虎殿さえその気になれば、うちの殿だって景虎殿に家督を譲り渡すのもやぶさかでなかったんですがねぇ。


そんなこんなで果てしなく御山御坊戦をループした挙句、扇谷上杉朝定殿も遂に苦渋の決断を下しました。


「虎は一旦、野に放とう」


いつの日か必ず、景虎殿と相見え、家臣団に加える決意を胸に、扇谷上杉家は新たな局面へと向かいます。