山頭火の「行乞記」昭和7年ー4/5 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

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【南無大師遍照金剛】 * 7

四月六日

 晴れたり曇つたり、風が吹いて肌寒かつた、

どうも腹工合がよくない、したがつて痔がよくない、

気分が欝いで、歩行も行乞もやれないのを、

むりにこゝまで来た、行程わづかに二里、

行乞一時間あまり、今福町、山代屋(二五・上)

宇佐-25

死! 死を考へると、どきりとせずにはゐられない、

生をあきらめ死をあきらめてゐないからだ、

ほんたうの安心が出来てゐないからだ、

何のための出離ぞ、何のための行脚ぞ、あゝ!

 

・こゝまでは道路が出来た桃の花
・崖にかぢりつき崖をくづすこと
・旅もをはりの、酒もにがくなつた
 病んで寝てゐる家鴨さわがしい宿
・忘れようとするその顔の泣いてゐる(夢)
・どうでもよい木の芽を分けのぼる
・さみしさ、あつい湯にはいる
・水のうまさは芽ぐむものにもあたへて
・食べるだけ食べてひとりの箸をおく
 花ざかり豆腐屋で豆腐がおいしい
・どこかで頭のなかで鴉がなく(夢幻)

 

此宿はよい、昨夜の宿とはまた違つた意味で、――

飲食店だけでは、此不景気にはやつてゆけないので

安宿を始めたものらしい、

うどん一杯五銭で腹をあたゝめた、

久しぶりのうどんだつた、おいしかつた。


世間師には明日はない(昨日はあつても)、

今日があるばかりである、

今日一日の飯と今夜一夜の寝床とがあるばかりだ、

腹いつぱい飲んで食つて、そして寝たとこ我が家、

これが彼等の道徳であり哲学であり、宗教でもある。


人間の生甲斐は味ふことにある、

生きるとは味ふのだともいへよう、

そして人間の幸は『なりきる』ことにある、

乞食は乞食になりきれ、

乞食になりきらなければ乞食の幸は味はへない、

人間はその人間になりきるより外に

彼の生き方はないのである。


金がある間は行乞など出来るものでない、

また行乞すべきものでもあるまい、

私もとう/\無一物、いや無一文になつてしまつた、

SさんGさんに約束した肌身の金もちびりちびり出してゐたら、

いつのまにやら空つぽになつてしまつてゐる、

 

これでよい、これでよいのだ、

明日からは本気で行乞しよう、

まだ/\袈裟を質入しても二三日は食べてゐられるが。


酒飲みは悪い酒を飲み、茶好きはよい茶を好む、

前者では量、後者では質が第一の関心事らしい。


かう腹工合が悪くては困つたものだ、

これでは行乞相まで悪くなる、姿勢がくづれる、

声が出なくなる、眼が光りだす、腹が立ちやすくなる。……


今夜も寝つかれなくて、下らない事ばかり考へてゐた、

数回目の厠に立つた時はもう五時に近かつた(昨夜は二時)。

 

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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