十二月十一日 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)
朝早く、第十八番の札所へ拝登する、
山裾の静かな御堂である、
札所らしい気分になる、
そこから急いで久留米へ出て、
郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、
こゝで泊るつもりだけれど、
雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、
目についた宿にとびこんだが、
きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。
霜――うらゝか――雲雀の唄――櫨の並木――
苗木畑――果実の美観――これだけ書いておいて、
今日の印象の備忘としよう。
・大霜の土を掘りおこす
枯草ふみにじつて兵隊ごつこ
うらゝかな今日の米だけはある
さうろうとしてけふもくれたか
街の雑音も通り抜けて来た
十二月十二日 晴、行程六里、原町、常盤屋(三〇・中)
思はず朝寝して出立したのはもう九時過ぎだつた、
途中少しばかり行乞する、
そして第十七番の清水寺へ詣でる、
九州西国の札所としては有数の場所だが、
本堂は焼失して再興中である、
再興されたら、随分見事だらう、
こゝから第十六番への山越は□□□にない難路だつた、
そこの尼さんは好感を与へる人だつた、
こゝからまた清水寺へ戻る別の道も難路だつた、
やうやく前の道へ出て、
急いでこゝに泊つた、
共同風呂といふのへはいつた、
酒一合飲んだらすつかり一文なしになつた、
明日からは
嫌でも応でも行乞を続けなければならない。
行乞! 行乞のむづかしさよりも
行乞のみじめさである
、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、
行乞の客観的意義は兎も角も、
主観的価値に悩まずにゐられないのである、
根本的にいへば、
私の生存そのものゝ問題である
(酒はもう問題ではなくなつた)。
・日向の羅漢様どれも首がない(清水寺)
・山道わからなくなつたところ石地蔵尊
明日は明日のことにして寝ませうよ
遍路山道の石地蔵尊はありがたい、
今日は石地蔵尊に導かれて、
半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。
今夜の宿も困つた、
やつと蝋燭のあかりで、これだけ書いた、
こんなことにも旅のあはれが考へられる。……
(青空文庫作成ファイル)より
(続きます)
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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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