山頭火の「行乞記」昭和5年ー12/8 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

御先祖の御加護に感謝をし
日本百観音などを参拝の後
お四国を錦札で巡拝できる喜びを感じて
弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

十二月十一日 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)
宇佐-25
朝早く、第十八番の札所へ拝登する、

山裾の静かな御堂である、

札所らしい気分になる、

 

そこから急いで久留米へ出て、

郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、

こゝで泊るつもりだけれど、

雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、

目についた宿にとびこんだが、

きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。


霜――うらゝか――雲雀の唄――櫨の並木――

苗木畑――果実の美観――これだけ書いておいて、

今日の印象の備忘としよう。

 

・大霜の土を掘りおこす
 枯草ふみにじつて兵隊ごつこ
 うらゝかな今日の米だけはある
 さうろうとしてけふもくれたか
 街の雑音も通り抜けて来た


 十二月十二日 晴、行程六里、原町、常盤屋(三〇・中)

思はず朝寝して出立したのはもう九時過ぎだつた、

途中少しばかり行乞する、

そして第十七番の清水寺へ詣でる、

九州西国の札所としては有数の場所だが、

本堂は焼失して再興中である、

再興されたら、随分見事だらう、

こゝから第十六番への山越は□□□にない難路だつた、

そこの尼さんは好感を与へる人だつた、

こゝからまた清水寺へ戻る別の道も難路だつた、

やうやく前の道へ出て、

急いでこゝに泊つた、

共同風呂といふのへはいつた、

酒一合飲んだらすつかり一文なしになつた、

 

明日からは

嫌でも応でも行乞を続けなければならない。
行乞! 行乞のむづかしさよりも

行乞のみじめさである

行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、

行乞の客観的意義は兎も角も、

主観的価値に悩まずにゐられないのである、

根本的にいへば、

私の生存そのものゝ問題である

(酒はもう問題ではなくなつた)。

 

・日向の羅漢様どれも首がない(清水寺)
・山道わからなくなつたところ石地蔵尊
 明日は明日のことにして寝ませうよ

 

遍路山道の石地蔵尊はありがたい、

今日は石地蔵尊に導かれて、

半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。
今夜の宿も困つた、

やつと蝋燭のあかりで、これだけ書いた、

こんなことにも旅のあはれが考へられる。……

 

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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