山頭火の「行乞記」昭和5年ー11/4 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

御先祖の御加護に感謝をし
日本百観音などを参拝の後
お四国を錦札で巡拝できる喜びを感じて
弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

十一月五日 曇、三重町行乞、宿は同前。
宇佐-25
昨夜は蒲団長く夜長くだつた、

これからは何よりもカンタン(フトンの隠語)がよい宿で

なければかなはない、

此宿は主婦が酌婦上りらしいので多少、

いやらしいところがないでもないが、悪い方ではない。


山の町の朝はおくれる、九時から二時まで行乞、

去年の行乞よりもお賽銭は少なかつたが、

それでも食べて飲んで寝るだけは十分に戴いた、

袈裟の功徳、

人心の信愛をありがたく感じる。


行乞相はだん/\よくなる、

おちついてきたからだらう、

歩かない日は――行乞しない日は堕落した日である。


此地方ではもう、豆腐も水に入れてある、

草鞋も店頭にぶらさげてある、酒も安い、

何だか親しみを覚える。


豪家らしい家で、御免と慳貪にいふ、

或はちよんびり米を下さる

(与へる方よりも受ける方が恥づかしいほど)、

そして貧しい裏長屋でわざ/\よびとめて、

分不相応の物質を下さる、――何といふ矛盾だらう、

今日も或る大店で嫌々与へられた一銭は受けなかつたが、

通りがゝりにわざ/\

さしだされた茶碗一杯の米はほんたうにありがたく頂戴した。


入浴三銭、酒弐十銭、――これで私は極楽の人となつた。
今日は一句もない、

句の出来ないのは気持の最もいゝ時か

或は反対に気持の最もよくない時かである。


今日は酒屋で福日と大朝とを読ませて貰つた、

新聞も読まないやうになると安楽だけれど、

まだそこまではゆけない、

新聞によつて現代社会相と接触を保つてゐる訳だ。


今日はまた湯屋で、ほんたうの一番風呂だつた、

湯加減もよかつたので、たつたひとり、

のび/\と手足を伸ばした気持は何ともいへなかつた、

殊にそこの噴井の水はうまかつた、

腹いつぱい飲んだことである。


アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、

お天気もよいらしい、いゝ気分である、

人生の最大幸福はよき食慾とよき睡眠だ。
いつ頃からか、また小さい蜘蛛が網代笠に巣喰うてゐる、

何と可愛い生き物だらう、

行乞の時、ぶらさがつたりまひあがつたりする、

何かおいしいものをやりたいが、さて何をやつたものだらう。

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

日本ブログ村に参加しています
こちらのバナーをクリックすると

大勢の方のお遍路ブログが覗けます 

お寺好きの方 ぜひクリックしてね。

  ダウン     ダウン               ダウン

 にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ  にほんブログ村 ポエムブログ 詩集へ ブログランキング・にほんブログ村へ

クリック有難う御座いました