十一月四日 晴、行程十里と八里、三重町、梅木屋
(三〇・中上)
早く起きる、
茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む
十分に秋の気分である、
八時の汽車で重岡まで十里、そこから小野市まで三里、
一時間ばかり行乞、
そして三重町まで八里の山路を急ぐ、
三国峠は此地方では峠らしい峠で、
また、山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、
急いだので暮れきらうちに宿へ着くことが出来た。
今日の道はほんたうによかつた、
汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、
いちだなとしげをかとの間は八マイル九分といふ長さだつた、
歩いた道はもつとよかつた
どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、
どこからともなく聞えてくる水の音、小鳥の声、
木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、
吹く風も快かつた。
峠を登りきつて、少し下つたところで、ふと前を見渡すと、
大きな高い山がどつしりと峙えてゐる、
祖母岳だ、
西日を浴びた姿は何ともいへない崇美だつた、
私は草にすはつてぢつと眺めた、ゆつくり一服やつた
(実は一杯やりたかつたのだが)、
そこからまた少し下ると、一軒の茶店があつた、
さつそく漬物で一杯やつた、その元気でどん/\下つて来た。
汽車賃五十銭は仕方なかつたが、
『みのり』はたしかに贅沢だつた、
しかしそれが今日は贅沢でなくなつた、
それほど急いで山を楽しんだのである、
山を前に悠然として一服、
いや一杯やる気持は何ともいへない。
小野市といふ村町では、
見事な菊を作つて陳列してゐる家が多かつた、
菊はやつぱり日本の花、秋の花だと思つた。
山道が二つに分れてゐる、
多分右がほんたうだらうとは直感したが、
念のために確かめたいと思つて
四方を見まはすけれど誰もゐない、
たゞ大きな黒い牛が草を食んでゐる、
そして時々不審さうに私を見る、私も牛を見る、
私はあまり牛といふ動物を好かないが、
その牛には好感が持てた、道を教へてくれ、牛よ。
行乞してゐると、人間の一言一行が、
どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、
うれしい事でも、おもしろくない事でも。
此宿はよくないだらうと予期して泊つたのだが、
予期を裏切つて悪くなかつた、
何でも見かけにはよらないものだ。
・休む外ない雨のひよろ/\コスモス
・しぐるゝや道は一すぢ(旧作)
・ほがらかさ一家そろうて刈りすゝむ
・秋の山路のおへんろさん夫婦づれ
・秋はいちはやく山の櫨を染め
・崖はコンクリートの蔦紅葉
いたゞきの枯すゝきしづもるまなし
旅の人々が汽車の見えなくなるまでも
山路下りて来てさこんた
嫌な声の鴉が一羽
・山の一つ家も今日の旗立てゝ(旗日)
・峰のてつぺんの樹は枯れてゐる
・さみしさは松虫草の二つ三つ
枯草に残る日の色はかなし
日が落ちかゝるその山は祖母山
暮れてなほ耕す人の影の濃く
軒も傾いたまんま住んでゐる
さすがに山村だ、だいぶ冷える、
だらけた身心がひきしまるやうである、
山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
『空に遊ぶ』といふことを考へる、
私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。
台湾蕃婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。
(青空文庫作成ファイル)より
(続きます)
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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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