山頭火の「行乞記」昭和5年ー11/3 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

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【南無大師遍照金剛】 * 7

十一月四日 晴、行程十里と八里、三重町、梅木屋

(三〇・中上)
宇佐-25
早く起きる、

茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む

十分に秋の気分である、

八時の汽車で重岡まで十里、そこから小野市まで三里、

一時間ばかり行乞、

 

そして三重町まで八里の山路を急ぐ、

三国峠は此地方では峠らしい峠で、

また、山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、

急いだので暮れきらうちに宿へ着くことが出来た。


今日の道はほんたうによかつた、

汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、

いちだなしげをかとの間は八マイル九分といふ長さだつた、

歩いた道はもつとよかつた

どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、

どこからともなく聞えてくる水の音、小鳥の声、

木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、

吹く風も快かつた。


峠を登りきつて、少し下つたところで、ふと前を見渡すと、

大きな高い山がどつしりと峙えてゐる、

祖母岳だ、

西日を浴びた姿は何ともいへない崇美だつた、

私は草にすはつてぢつと眺めた、ゆつくり一服やつた

(実は一杯やりたかつたのだが)、

そこからまた少し下ると、一軒の茶店があつた、

さつそく漬物で一杯やつた、その元気でどん/\下つて来た。


汽車賃五十銭は仕方なかつたが、

『みのり』はたしかに贅沢だつた、

しかしそれが今日は贅沢でなくなつた、

それほど急いで山を楽しんだのである、

山を前に悠然として一服、

いや一杯やる気持は何ともいへない。


小野市といふ村町では、

見事な菊を作つて陳列してゐる家が多かつた、

菊はやつぱり日本の花、秋の花だと思つた。


山道が二つに分れてゐる、

多分右がほんたうだらうとは直感したが、

念のために確かめたいと思つて

四方を見まはすけれど誰もゐない、

たゞ大きな黒い牛が草を食んでゐる、

そして時々不審さうに私を見る、私も牛を見る、

私はあまり牛といふ動物を好かないが、

その牛には好感が持てた、道を教へてくれ、牛よ。


行乞してゐると、人間の一言一行が、

どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、

うれしい事でも、おもしろくない事でも。
此宿はよくないだらうと予期して泊つたのだが、

予期を裏切つて悪くなかつた、

何でも見かけにはよらないものだ。

 

・休む外ない雨のひよろ/\コスモス
・しぐるゝや道は一すぢ(旧作)
・ほがらかさ一家そろうて刈りすゝむ
・秋の山路のおへんろさん夫婦づれ
・秋はいちはやく山の櫨を染め
・崖はコンクリートの蔦紅葉
 いたゞきの枯すゝきしづもるまなし
 旅の人々が汽車の見えなくなるまでも
 山路下りて来てさこんた
 嫌な声の鴉が一羽
・山の一つ家も今日の旗立てゝ(旗日)
・峰のてつぺんの樹は枯れてゐる
・さみしさは松虫草の二つ三つ
 枯草に残る日の色はかなし
 日が落ちかゝるその山は祖母山
 暮れてなほ耕す人の影の濃く
 軒も傾いたまんま住んでゐる

 

さすがに山村だ、だいぶ冷える、

だらけた身心がひきしまるやうである、

山のうつくしさ水のうまさはこれからである。
『空に遊ぶ』といふことを考へる、

私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。
台湾蕃婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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