感染症と闘った3人の挑戦〜後藤新平 | 安 明高 の 生 活

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【南無大師遍照金剛】 * 7

日清戦争後

大陸帰還兵の大規模な検疫を成功させ

世界に日本の衛生力の高さを示した

後藤新平 さん

後藤607

新型コロナウイルスの感染が日に日に拡大し、百年に一度の危機と言う人もいます
今から125年前、

現在と似たような状況で疫病の蔓延を食い止めた人物がいました

その人の名は後藤新平です

 

後藤は明治から昭和初期にかけての激動の時代に

壮大なビジョンを掲げ

公衆衛生、鉄道事業、都市政策、復興計画などの分野で多大な実績を残しました

しかし生まれた時代が早過ぎたのか

当時の人々には彼の描いた構想が理解されず

数十年後の時を経てようやく開花した事業もあります
将来像が描けず

ともすれば目先のことに走りがちな中

今の私たちが後藤新平から学ぶことがあるのではないでしょうか。

 

 

後藤新平は安政 4年(1857).

陸奥国胆沢郡(現・岩手県奥州市)に

仙台藩の下級武士後藤実崇の子として生まれました

 

明治10年(1875)医師となり

明治15年(1882)

24歳にして愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)の校長兼愛知県病院長として実績を残した

後藤新平の内務省に送った

国の衛生行政に関する意見書を読んだ局長が

一病院長としておくのではもったいないと判断して内務省職員に採用

その後

ドイツ留学を経て、順調に衛生局長になり

芝公園内に

北里柴三郎を所長とする「伝染病研究所」を設立

伝染病の予防・治療の研究を進めました

局長になった翌年

相馬事件(旧相馬藩の家督争い)に連座して半年にわたり獄中生活を送る破目になり

無罪になりましたが、失職してしまいました。

 

釈放後 日清戦争が勃発

戦地では衛生状態が悪くコレラや赤痢」など

伝染病が猛威を振るっていました。

 

戦争が終われば

大陸から24万人近い兵隊が復員してきます

そうなると復員兵と共に

日本国内に疫病がもたらされる危険性がありました
迫りくる
「もう1つの戦争」

疫病の感染から国民を守らねばなりません

この時、陸軍の野戦衛生長官だった石黒忠悳は

後藤新平のかつての上司で、後藤の能力を高く買っていました。

失業中の後藤に復員兵の検疫事業を担当させようと考え

後藤を連れて

陸軍次官兼軍務局長の児玉源太郎に面会します
児玉が検疫にかかる経費を後藤に尋ねると

「100万はかかるでしょう」と答え

これに対し児玉は

「それならば150万出すので引き受けてくれるか」と

その場で応え、後藤が受諾します。

戦争終結が近づいた明治28年(1895)

後藤新平は

帰還兵に対する検疫業務を行う

臨時陸軍検疫部事務官長として官職に復帰

わずか 2 か月で

広島の宇品港似島・下関近くの彦島・大阪の桜島の3か所に

巨大な検疫所をつくりました

似島では1日6千人

彦島、桜島ではそれぞれ1日3千人を検疫する計画を練り

総建坪22,660坪、401棟の検疫所を2ヶ月で完成させました。

なお、日清戦争後の検疫で消毒した艦船は687隻、総人員232,346人

この検疫を2カ月で完了させました。


これは世界史上にない壮挙でした

ドイツ皇帝は

「日本は凄いことをやってのけた。感服した」と語ったそうです

後藤新平は

この功績で、再び内務省衛生局長に就任しました。

 

陸軍次官・台湾総督の児玉源太郎に請われ

明治29年(1896)民政長官となり台湾統治に功績を挙げました。

その後

①明治39年(1906)に初代の満鉄総裁に

②鉄道員総裁として国内の鉄道を整備

③大正9年(1920)に東京市長として都市改造計画の普及啓発に注力

④大正12年(1923)

⑤関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の大胆な復興計画を立案指導

⑥永く拓殖大学の学長を

⑦東京放送局(後のNHK)総裁を

⑧ボーイスカウト日本連盟初代総長も務めていました。

昨年からのコロナ禍をきっかけに

私たちの働き方、生活のあり方が大きく問い直されている今

危機は新たな未来へ向けて開化(開花)するチャンスかと思われます

後藤新平は

「百年先を見通し、時代を切り拓いた男」だと

世界中から評価された人物でありました。

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昨今

日本の政界は与党が相次ぐ「失策」を連発して支持率が急降下していますが

それでも野党の支持率が上がらない

それは

政権を去ってから10年近くたつのに若手の人材が育っていない

後援会組織が労組関係だけで

議場では疑惑を攻める「追及シーン」だけが目立っています

それよりも

政権担当能力を示す

もっと大きなビジョンを示す「提案」に力を入れるべきでだ

今後は

「政権交代を目的化とせず、未来図をつくり上げて地道に訴えていくべきだ」.と

政治アナリストの伊藤惇夫さん は語っております

 

岐阜の安さんより

最近の与党議員には「おごり・たかぶり」が目受けられます

このままでは「無党派が多くなるのでは」

改めて今後は

初心忘れず、誠実さを思い出し・裏表のない人間を期待します。

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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

明日もいい日でありますように 【合掌】

 

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