南蒲原郡田上町で
越後の七不思議 ⑦と番外を
【⑦番 繋ぎ榧】
寺 名 ; 了玄寺
宗 旨 ; 真宗大谷派
本 尊 ; 阿弥陀如来
所在地; 南蒲原郡田上町大字田上丙1285-1
T E L ; 0256-57-3422
志納金 ; 300 円
駐車場 :アイアイコミュニィテセンター
親鸞聖人が、護摩堂山の城主宮崎但馬守に招かれて
法話を説いた際
城主が献じたかやの実の
1枚を地面に植えて仏縁を説いたところ
芽を出して実を結んだといわれています
その実には1粒毎につないだ穴の跡が残っており
しかも1枚で葉が表向きと裏向きに
このかやの木は
500年前護摩堂山城跡から
了玄寺境内に移植されたもので
大正11年に国の天然記念物に指定されています
垣根の中では縦横無尽に枝分かれしてゴボゴボだよ
花粉症でないから
本堂には
親鸞聖人御真筆 十字名号
蓮如上人御真筆 六字名号
親鸞聖人御自刻御真影
(関東へ出立されるときのお別れの御真影)
親鸞聖人像(榧材による蓮如上人御自刻)
11世顕如上人聖道門修業中の御姿像があります
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越後線 青山駅から南へ1km程の所へ
越後の七不思議 番外編
「川越波切の御名号」
寺 名 ;鈴木家旧跡
所在地; 新潟市西区寺地940-4
T E L; 025-266-8084
親鸞聖人が流罪を許されてから3年の後
鳥屋野の里でお過ごしになっていたある日の事です
平島村の新十郎のところに近郷近在の者が集まり
親鸞聖人は他力念仏の法を説かれました
その帰路
新十郎は聖人を平島から鳥屋野へお送りしようと
信濃川を船で漕ぎだしたところ
北風が激しく吹き、川を渡れず途方に暮れてしまった
すると
親鸞聖人は懐中から紙を出され
「南無阿弥陀仏」の御名号をお書きになり
新十郎にお与えになり
新十郎がその御名号を船の表に掲げて命限りに漕ぎだすと
不思議なことに烈風を難なく波を切り分けて鳥屋野に着船することができたそうです。
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信越本線 新津駅から西へ1km程の所で
番外編の2つ目は
「古田の八珍柿」を
八珍柿(はっちん)は渋柿の品種で
正式名は平核無柿(ヒラタネナシガキ)と言い実の中に種のできない柿の変種です
越後七不思議の次に珍しいので
「八珍」と名ずけられたそうです
原木は新潟市秋葉区古田にあり
樹齢約320年、高さ16m、幹周り203cmの巨木で
県指定天然記念物 になっています
八珍柿は新潟県を主産地として栽培され
おけさ柿の商品名で広く知られています
原産地は「庄内柿」といい山形県庄内地方とされていましたが
昭和6年に
新潟市古田地内の柿の古木が原木であることが判明したのです
明治初期、庄内藩 家老職の酒井調良が
苗木を山形県庄内地方に持ち帰り産地化したものが「庄内柿」であり
昭和初期になって佐渡郡羽茂村の農会技術員が
庄内柿の穂木を佐渡に持ち帰り
産地化したものが「おけさ柿」なのだそうです
「つなぎがや」の了玄寺への道すがら
この秋葉地区には柿の木を良く見掛けますが
まだかわいいサイズの若葉なので
写真にするまでには・・・ちょっとね。
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朴の花の咲くとき嫁ぎゆく娘に
真に美しい花
お前に真美子と名づけたのも
今から思えば
朴とのつながりが
深かったと言えよう
真美子よ
お前はわたしたちが
老い先を考えるようになってから
生れてきた
そのため何とかしてお前が
二十歳になるまで生きたかった
幸いその願いがかなえられ
さらに嫁ぐ姿をも
見ることができるのは
なんというありがたい
おん守りであろうか
わたしの詩のなかに
ハイを覚えた真美子に
というのがある
坂村真民
今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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