コロナでない 四国へ流罪の法然上人を訪ねて-3 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

御先祖の御加護に感謝をし
日本百観音などを参拝の後
お四国を錦札で巡拝できる喜びを感じて
弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

小松庄の正福寺におちつかれた法然上人は 

満濃町近辺でも 

農民たちに教化されておられたそうです


寺 名 ;憲正寺(川西権現)

宗 派 ;浄土宗 

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;綾歌郡綾川町滝宮2023  


御分骨廟 法然水 豆腐井戸 蛇渕
建永2年、法然上人が滞留して念仏行を勧められたました

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寺 名 ;萱原池の法然寺跡  
宗 派 ;浄土宗

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;綾歌郡綾川町滝宮字萱原1092

 

萱原池(現北条池)畔の 

土壇上で法然上人が説法された所です
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江戸時代の珍しい帽子をかぶった地蔵がいます    
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寺 名 ;宮田の法然堂 西光寺

宗 派 ;浄土宗

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;仲多度郡仲南町 宮田146


杖掘りの井戸 逆さ竹 明星天下りの松(跡) 
法然上人御自作の霊像 

 

上人御真筆の御名号 和歌 
仏舎利 熊谷蓮生坊御自作の遺像
法然上人は金毘羅大権現へ御参詣の砌り

 

南の方を眺め、紫雲の靆く有縁の地と、草庵を結ばれました
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小松庄の正福寺におちつかれた法然上人は 

農民たちに教化されながら 

琴平の金毘羅大権現とか 

善通寺などへ参詣されてます

 

寺 名 ;五岳山 誕生院 善通寺

宗 派 ;真言宗善通寺派総本山

開 基 ;弘法大師

本 尊 ;薬師如来

所在地;善通寺市善通寺町3-3-1

T E L ;0877-62-0111

善通寺は天笠八塔の土を敷いた霊場であるので 

法然上人は深く崇敬せられていたのです
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ここでは五重塔の東南に
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法然上人生前墓「逆修塔」を建立されたのです
これは生前に自身墓を造り後世の菩提を祈り 

ここへ参拝する人の法縁を結ばんがためだそうです
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御影堂(大師堂)の近くには

親鸞堂」があります 
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堂内には親鸞聖人御自作の親鸞尊像があります 

       
親鸞聖人は、弘法大師誕生の霊地にて 

善通寺を詣でた我が師、法然上人が 

「逆修の塔」を建てられ
我も彼の寺へ詣でなんと思えどもその願いを果たし 

願わくばこの像を彼の寺に送り 

今生の願望を遂げしめよと遺命されたのです

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又 善通寺近辺では次の所へも行っておられます

寺 名 ;智光寺

宗 派 ;浄土宗

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;香川県善通寺市生野町2488

T E L ;0877-62-4783

法然上人腰掛の岩( 御名号碑 )     
一時法然上人はこの地に滞留され
土地の人々を教化されました

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寺 名 ;法然堂(庵)大藪の法然さん

宗 派 ;浄土宗

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;坂出市大屋冨町1933(須賀公民館の右隣)

法然上人木像は 

雨乞いの時に仏生山より御迎えしていましたが 

二次大戦の終結と共に中止になったそうです
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寺 名 ;諦観山 西光寺

宗 派 ;浄土真宗本願寺派

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;綾歌郡宇多津町今市1440

T E L ;0877-49-0300


ここは元 鍋屋の草庵(屋形茶室)ですが
ここをを弟子に譲られ小松庄に移られたのです
この草庵を今市の現在地に移し西光寺となったのです

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寺 名 ;白峰寺 崇徳天皇陵
所在地; 香川県坂出市青海町2635 

T E L ; 0877-47-0305
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寺 名 ;白峰寺 稚児嶽
所在地; 香川県坂出市青海町2635 

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ここは四国霊場 第83番一宮寺から 

東へ3km程の所です


寺 名 ;仏生山 来迎院 法然寺

宗 派 ;浄土宗
開 基 ;真誉相閑

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;香川県高松市佛生山町3215

T E L ; 0878-89-0406

法然上人二十五霊場 第二番札所でもあります


法然上人は小松庄正福寺におられましたが 

帰京された後 

その寺が炎上したために 

藩主の松平頼重公が 

上人縁りの寺の荒廃をなげき 

城下約8.5km南の
 
仏生山の地に再建し菩提寺としたのです

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高松藩主松平賴重は 

水戸光圀公の兄に当たりますが 

徳川一門が崇敬する浄土宗に帰依

 
 
 

寛文8年起工、同10年正月25日に 

三十三門二十四宇の堂塔が完成 

江戸小石川伝通院前住職真誉相閑を中興とし 

仏生山来迎院法然寺と号したのです

 

須弥山を模した山上に位置する般若台には 

法然上人を中心に、賴重の父頼房をはじめ 

賴重以来の高松松平家一族の墓石202基が存在します

 

十王堂から地上の参道を経て、黒門から仁王門へ 

そして階段を上り 

二尊堂、来迎堂へと続く境内諸堂の配置は 

地獄から極楽へ至たる「二河白道」を見立て 

来迎堂内正面の黄金の阿弥陀二十五菩薩立体来迎像は 

阿弥陀如来のお迎えを表し 

極楽浄土の位置には般若台が拝されます  
本堂(明治40年の再建)には 

生福寺から移した法然上人御自作という 

阿弥陀如来立像が本尊として祀られています
上人配流のお姿像(波乗りの法然上人像)を祀る

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三仏堂には内陣奥の須弥壇上に 

本尊の三仏(香川県指定有形文化財) 

すなわち、中央に阿弥陀如来座像(現在) 

左に釈迦如来座像(過去) 

右に弥勒菩薩座像(未来)を安置し 

その前に釈迦涅槃の群像が配され 

特殊な尊像構成で配置されています

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寺 名 ;正真堂

宗 派 ;浄土真宗 興正寺派 

本 尊 ;阿弥陀如来

所在地;東かがわ市丹生字小砂68 

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寺 名 ;庄松同行墓所(正真堂境内)

所在地;東かがわ市丹生字小砂68
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法然上人は

ここへ流罪される予定であった地


寺 名 ;龍珠山 正福寺跡

宗 派 ;浄土宗 

所在地;高知県四万十市中村山手通り51

高知地方裁判所・検察庁前


鎌倉時代の初期に

法然上人が土佐に流罪となったので 

中村の地では

浄土宗知恩院末寺の正福寺を設けて待っていましたが 

上人は讃岐で留まってしまわれました

 

正福寺は一条時代に一時衰退しましたが 

まもなく空大和尚に依り再興され 

安土時代には長宗我部信親の位牌がありましたが 

江戸時代ではすべて姿が消えています 

明治4年に廃寺となりましたが後に場所を移して再興されてます 

現在は裁判所奥に墓地が残されております
中村-1
中村-2
中村-3



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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

明日もいい日でありますように 【合掌】

 

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